時価総額/GDP比の現在値 2016年5月末時点

前回に引き続き、時価総額/GDP比の現在値(5月末時点数値)を調べてみます。

日本 87%(2014年4月末) → 92.5%(2014年9月末) → 112%(2015年2月末) → 111%(2015年3月末) → 112%(2015年10月末) → 104% 時価総額の参照数値が一部のみから一部二部その他合算に変更

アメリカ 102%(2014年4月末) → 106%(2014年9月末) → 108%(2015年2月末) → 107%(2015年3月末) → 107%(2015年10月末) →  102%

・計算式  時価総額÷名目GDP時価総額/名目GDP

 (過去から100%〜120%程度が高値圏と考えられる。バブル期の%の推移については、GDP/時価総額比率 1989年でGDP比率145.5%を参照。)

 ※参考データ

ここから想定される日経平均株価の高値のレンジは、ざっくり

 17,919円(108%) 〜 21,300円(128%)

 以上です。

人口が減っても全然困らないかも知れない 「ゴールド ― 金と人間の文明史」

 日本の人口が減ると、多くの議論だとこのままではダメだということになる。本当だろうか? 保育園は増やした方がいいと思うけど、国民の頭数を揃えないとマズイよね、みたいなことは本当はどうでも良いのではないか。

 もちろん、人口減少すると"国全体の"経済成長には良くない、恐らく国債を返すか返さないかで大揉めするだろう、でもそれで最終的に困るのは誰なのか、ということだ。ベースの生活水準はどうなるのかが大事なことだ。土地の生産力は変わらなくて、教育水準や技術力も同じであれば、個人や家庭としての国民自身はそれほど困らない可能性がある。もちろん、デフォルトした政府の後始末はあるだろうが・・・。もし仮に、政府債がデフォルトしても人々の生活が破綻するわけではない。ベースの生産力が突然減るわけではないから。そして、本当に人口が激減した前例がある。

 かつてヨーロッパで全人口の1/3~2/3が死んでしまったことがある。14世紀に猛威をふるったペストのせいだ。人口が激減したことで一人当たりの資産はすごい増えた。だからみんな暮らしが楽になってしまったのだ。食料事情も改善し、生き延びた人たちは仕事よりも楽しみに時間を遣うことができるようになった。

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 階級に関わりない平等な大量死は同時代人に絶望だけでなく、葡萄酒とパーティの享楽をもたらした。その辺りのことは、「ゴールド ― 金と人間の文明史」に詳しい。

amzn.to

 人口が減って農民にとって良かったのは、交渉力が高まったことだ。雇い主である地主や貴族たちは、働き手がいなくなると困る。だから、賃金が高くなったし農民の地位も高まったのだ。現代で言えば、非正規雇用のパートでも高賃金が要求できるようになるのだ。これって良いことなのではないのだろうか?

 農村人口の激減はかえって封建領主に対する農民の地位を高めることとなった。たとえば、イギリスでは労働者の不足に対処するため、国王エドワード3世が1349年にペスト流行以前の賃金を固定することなどを勅令で定めている。それ以外にも、領主は地代を軽減したり、農民保有地の売買を認めるなど、農民の待遇改善に努力するようになった。

感染症の歴史 - Wikipedia

  かつて、マルサスがいた18世紀の社会では、人口が少ない方が一人当たりの富が多いことは常識だった。この考え方は18世紀以前まではずっと変わらない残酷で過酷な現実だった。人間が食料を技術革新で増産すると、それに見合って人口が増えてしまう。だから、いつまで経っても人類はかつかつの喰うやくわずの生活で、ちょっとした気候変動で大飢饉が発生して、そのせいで戦争が起きてという負のスパイラルが止まらない。この現実に対してどんなイノベーションも勝てなかった。イノベーションそのものが、人口増加を生むという、まさに呪いが続いたのだ。人口が増えることが良いことだ、なんて観点は一切ない。

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 幾何級数的に増加する人口と算術級数的に増加する食糧の差により人口過剰、すなわち貧困が発生する。これは必然であり、社会制度の改良では回避され得ない、とする見方(「マルサスの罠」)を提唱した。

トマス・ロバート・マルサス - Wikipedia

 ところが、マルサスが悲劇の法則を発見したその瞬間、実は人類は空前の人口増加と経済成長が両立する時代を体験しつつあって、マルサスの理論は完全に覆されてしまった。結局、社会科学における変数は、何が決定的な役割を果たすのか、分らないので予測をしても無駄なところがある。今では、人口増加はイコール消費者の増加であって、市場の拡大を意味している。

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国連人口基金東京事務所|資料・統計

 だけど、日本の人口減少にともなって、明らかに有利になる予測可能な数字もある。例えば「食料自給率」だ。

 2013年の日本の人口は、1億2730万人、食料自給率はカロリーベースで39%、生産額ベースで、64%だ。2060年の推計人口は、8674万人になる。食料生産が現在と同じだったとすると、食料自給率はカロリーベースで64%、生産額ベースで、94%だ。*1

 これは、単位あたりの土地の生産性は変らないけれど、一人当たりの食料生産量が単純に考えて、+64%増加することを意味している。つまり、一人当たりの生産量が1年当たりでは、1.36%上昇することになる。(1年当たりに、単純に割り算しているのでもっと正確に計算した方が良いと思うけど)

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 あくまでもこれは仮定の計算でしかない。実際には生産に従事する労働者の数は足りるのか、とか、耕作放棄地はどうなる、とか色々あるだろう。それでも、食料生産だけでなく、その他の生産手段のことも考えると一人当たりの生産量は、飛躍的に向上すると予測するのが正しいのではないか。途中で政府はデフォルトしているかもしれないけど。

 一つの理由は、生産性をどう考えるかというところにある。

 前に生産性の定義の難しさについて書いたことがあるけれども、基本的には技術革新は、労働者の賃金が高い方が進みやすいと考えた。だから、それが正しければ人口が減ると労働賃金が上昇し、労働者の地位も向上するし、その圧力によって生産性革命を資本家が起こしたくなって、生産性が上昇する。

 資本があまり蓄積されていない状況では、食べていくためには自分で働くしかない。資本がたくさんあれば、他の国から買ってきて組み立てられる商品も、最初のうちは、自前で作って工夫して納品するしかない。そうすると、「労働」がとても貴重なものになる。資本が少ない世界では、資本を生み出すのは「人」でしかない。だから、労働者の賃金が上昇する。みんなどうしても人を雇いたい、だけど、資本が十分に蓄積されるまでは、みんなが人を欲しがるので賃金がなかなか下がらない。そうすると、資本家としては、人を雇う以外の工夫が必要だという結論に達する。

oror.hatenadiary.jp

  この「資本家としては、人を雇う以外の工夫が必要だという結論に達する。」という状況が、生産性に投資して、生産性が上昇し始めるために必要な条件なのだ。今の日本には、生産性を上昇させるトリガーが全くない。だから上昇しない。だけど、人口が減少すれば、このトリガーが起動し始める。賃金が上昇し、資本家や企業が持っている「資本」が労働力に対して相対的に減価し始める必要がある。

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 興味深いのは、人口の増加が急速であれば、生産量を飛躍的に伸ばす必要があるので、やっぱり労働力が必要なのだけど、急速に減っても労働力が必要かも知れないところだ。問題なのは、「労働供給のボラティリティ」なのかも知れない・・・。なだらかに人口減少を押しとどめてしまうと、このプロセスが起動せずに、生産性も低いわ、一人当たりの生産量も下がるわで、最も良くない結果になるかも知れない。

 この考え方を押し進めていくと、我々が体験しているのは「資本財」が人口の変化率の高さに弱いということで、つまり資本財の価格は、人口または、労働供給量(人以外も含む)の変化率の高さに対してかなり従属的に応答していることになる。いかなる資本でも労働力との結合がなければ価値を生まないので考えていけば当たり前なのかもしれないけど、労働供給量が安定すると、資本財は優位になって高止まりするのだけど、変化が激しくなると下がっていくのかも。そういう意味では、労働者が権利を主張するのは大局的には経済的合理性があると言える。 

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バイアス嫌いの投資家は、バイアス嫌いバイアスに支配されている投資家でもあるから、あれ

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 バフェット、マンガー、ソロス、タレブ、多くの投資家が共通して言い続けているのが、人間の認識にはバイアス(歪み)がある、ということだ。でも、 バフェット、マンガー、ソロス、タレブは人間なので認識にバイアスがかかっている。

 バイアスの分かりやすい事例として、競馬では「穴馬バイアス」というのがあるらしい。

実は経済学の文献の中では、競馬のオッズには「穴馬バイアス」と呼ばれる歪みが存在することが知られている。これは、馬券購入者達は穴馬(オッズが高い馬)を過剰に好むので相対的に穴馬の馬券が割高になり、逆に本命馬(オッズの低い馬)の馬券は割安になる、というアノマリーである。このアノマリーは世界各地の競馬で恒常的に観測されており、統計的にその存在が確かめられているものである。(参考:「穴馬への過剰な選好 (longshot bias)」に関するサーベイ

stockedge.hatenablog.com

 バイアスがあると、AとBという選択肢のうちAばかりが好まれて、Bが極端に安くなってしまう。しかも、バイアスの出方は、市場が違うと真逆になる。ニコラス・タレブが常に半ギレになりながら指摘するオプション市場のバイアスは、競馬と反対で「本命バイアス」がかかりすぎていて、穴場のオプションが激安になるというズレが生じている。

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 ところが、バイアスが全く無い状態にしたらいいじゃない、というわけにもいかない。人はバイアスがないと何も判断ができない。情緒がどうやら脳の原動力になっているからだ。(おかしなことだけど、バイアスに対して敵意を持つのも情緒があるからだ。自分が間違うことが許せないのは明らかにバイアスだ。間違うことがなぜ悪いのか。)だから、意思決定に人間が介在する限り、意思決定される何か(選ぶかどうか決めなきゃいけないものすべて、資本市場や商品が取り引きされるすべての局面、経済活動のすべてや、経済に関係ない結婚とか友情とか)で、本質的にバイアスが無くなることがあり得ない。

 進化の観点から、人間は自分が時間をつぎ込んだ考えに忠実になるよう仕込まれていると信じられる理由がある。(信念の経路依存性)市場での活動以外でも良いトレーダーだったら、どんなことになるか考えてみるといい。毎朝八時に起きて、それまで好きだったものも忘れ、妻なり夫なりとの関係を続けるか別れるか決めないといけない。・・・純粋に合理的な行動をとる人間は、扁桃体に異常があって、愛着という感情が阻害されている可能性がある。

 

  もっと言えば、新しいビジネスの普及と崩壊の仕組みも心理的バイアスに起因している。あるサービスが成長するのは、「みんなが選んでいるからたぶん間違いないだろう」というバイアスとヒューリスティックスの賜物だし、そんなサービスを打ち破る新しいものが出てくるのも、「よーく考えてみると、こんなサービスの何が良いんだろうバカ高いし、楽しくもないよね」という気づきがあるからだ。

 だから、スタートアップは常に「誰も気づかないこと」に気付かなくてならない。

 

www.slideshare.net

 こういう考え方を要約すると「いつも、『普通だったら●●と考える』というものにぶち当たったら、たぶん間違っていると結論付けておけば、必ず正解になる。」ということになる。これって、かなり単純な構造になっていて、バイアスという基本構造が遺伝子レベルで不変なのであれば物事の構造自体は,スーパーカンタンなままだということを意味している。 

 こういう現象の一つに流行語とか「バズワード」とかの現象がある。

 以下が、本日時点のGoogleトレンドでの青:IoT、赤:フィンテックのトレンドの変化だ。日本国内での検索結果だけに絞ってある。明確に「フィクテック」のトレンドが下降線を描いている。

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 Google トレンド

 ある「キーワード」は人の頭の中でカンタンに構造を作るのに便利で、物事の全体像をすっきりさせてくれる。だけど、すぐにブームは去るもので、これからはコレだ!と思いこんでも外れることが多い・・・。

 たとえば、Airbnbで民泊をやろう、というフレームが提示されると同種の別のアプローチ(他のサービスを使うとか、そもそももっと収益性の高い戦略が他にないのか)は切り捨てられて、大体の人がAirbnbのサービスの中でどう一位を取るか、という考え方にとりこまれる。

 そして、プラットフォームは一時的に栄えるけど、すぐに別のものに取って代わられる。

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 こういうことは、手をかえ品をかえて何度でも起きるので、なかなか同種の構造であるということに気付きにくい・・・。だから、注目を集めているものの裏側で起きていることや、それでリスクを取っていないのに儲けている人は誰かに気をつけた方が良いと思う。

 もっと大きいフレームで言うと、銀行とか個人向け金融などの金融システム、資本主義、会計簿記のフレームも、人を支配する概念として強烈なものがある。

 新興国で銀行システムや個人向け金融、ソーシャルレンディングなどが発達するのは、新興国では個人の少額投資でも収益性が見込める機会がたくさん存在するからだ。たとえばオートバイを買えば、手持ちの商品を収益機会のある場所に移動できるようになる。この基本的なフレームは、近所の人のちょっとした成功を目撃させ、社会性を伴って病原菌のように成長するだろう。「金融・資本主義・会計簿記」の3フレームは、それが浸透していなければ、熱狂を持って広がり、止まることがない。これは、チャールズ・マンガーがコカ・コーラの社会性を伴った伝播に感じ取ったものと同じもので、止めることが出来ない。*1

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 シナリオの確定性は、人間のバイアスに立脚している。もし、このバイアスに立脚していない商売で勝てるものがあるとしたら、それは本当にランダムな偶然なものでしかない、と思う。

 必勝のポジションは、常にバイアスという強烈な確定性の上に築かれた多少のゆらぎに賭けるものである。*2人間のバイアスの現れ方は多様なので、時期によって必要な戦略は全然違うものになる。

 たとえば、バリュー投資的手法が通用する時期と、モメンタム投資が強い時期に移行し、次第にボラティリティが高まって、ボラティリティ地震発生後の余震で儲けるフェーズへ、最後に一方向での暴落が始まりモメンタムで放っておくことが最大利益になり、またバリュー投資の時期になる。

 でも、これをすべてとりにいくことは、それぞれの状況をバイアスのかかりまくった人間が見分けるという難しさがあるから不可能に近いかも・・・。そして、そもそもバイアスが大嫌いだからバイアスを避けているぜ、と思っている投資家自身のバイアス半端ないから、あれ。*3

*1:マンガーの理屈の作り方は、典型的な後知恵バイアスだけど・・・。

*2:タレブ的に確率的なものだという言い方はしたくないので、しない。確率的だというセンスそのものがバイアスなので・・・。

*3:過去16年間、ぼくは相場が天井圏にあるという判断をしたことは一度もない。つまり、状況の推移などまったく読めていない。

ブレグジットで世界経済が終るかどうかを国富のバランスシートから予測すると

 ブレグジットで世界経済が終るかどうかを国富のバラスシートから予測すると、結論として、イギリスは最強に賢明な判断をしていることになる。

 以下は、ぼくが以前に計算した国富にインフレ/デフレが50%進んだとしてという仮定で*1ストレスをかけた場合の国富の純資産にかかってくる得失をグラフ化したものだ。イギリスは世界で一番バランスシートがわけわからないぐらい金融化されている国なので、どちらにしろすさまじいインパクトがある。イメージで言うと自己資本比率がすごい低い銀行みたいな国の資産構成になっている。だから、通貨政策を踏み間違うことが、何よりも世界経済に対するインパクトがでかすぎて、リーマン級を超える最後の審判クラスの大暴落がくることは間違いない。そんなイギリスでブレグジットが起きたから死んだと思ったけど、そうでもないような気がするグラフなのだ。

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oror.hatenadiary.jp

 

  まず、このグラフが意味しているのは、イギリスにとって「デフレは死」であることだ。もう一度言うけど、イギリスにとって「デフレは死」だ。しかし、インフレ基調であれば、高い負債比率が幸いして、負債を帳消しにしながら踏み倒し収益を徴収し続けて純資産の上昇を得ることができる。これはバランスシートの仕組みの問題なので、生産性が一切向上しなくても、イギリス人がイノベーティブだろうが、そうでもなくてボーっとしていようが関係ない。

 それでは、イギリスの生命線インフレ率はどうであったか。

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イギリスのインフレ率の推移(1980~2016年) - 世界経済のネタ帳

 順調にデフレによる死の一歩手前に近づいていた。ここで何としてもインフレ基調に戻すしかない。ここでブレグジットが起きると、どうなったのか。

 ポンドが安くなった・・・。たぶん、これは「ブレグジットノミクス」なのだ。まったくイギリス国民は意識していない可能性があるけど。結果として、デフレ輸出競争になってしまった・・・。

 

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英ポンド/ドル - FXレート・チャート - Yahoo!ファイナンス

 イギリスが首尾よく、ほどほどのインフレを手にした時、国富のバランスシート上では純資産の増加を観測できる。そして、イギリスでは経済基盤が盤石になった感が蔓延するだろう。実際には危機の水準が高くなっただけで、崩壊のときの水脈がコントロール不能になっていくだけだが。

 問題は日本がどうなるかだ。日本も同時に円安を達成して、ほどほどのインフレ基調に乗れるだろうか。その時、アメリカとユーロは自国通貨の高どまりを受け入れられるだろうか・・・。あるいは、日本の生き方としてデフレ耐性をつけるという方法がある。現金保有比率をある程度高めると、デフレが逆にバランスシート上の利益になる地点がある。(具体的に言うと、2013年時点のバランスシートでは500兆円程度の固定資産を現金化。今はもう少し現金化が進んでいるかも。)そこを目指すなら円高・デフレでも問題が全くなくなる。

*1:何で50%かということに特に理由はない。影響を想像した時に今はあり得ないとされている世界を考えた方が良いからだろうと思っている・・・。

合理的なオプション戦略について

 今まで、オプション戦略について考えようとしても良い戦略があると思えなくて取り組んでこなかった。けれど、オプションにもやりようによっては非合理的な価格の歪みを取っていく方法があるようなので今さらだけど、勉強していきたい・・・。また、ぼくは悲観的な性格なので、今後の金融市場については極めて懐疑的だ。信じがたい暴落の日が最後の審判的に訪れるような気がして仕方がないので、この戦略をとれるのは精神的に安心できる。

 オプション戦略の基本的な考え方は以下に要諦がまとまっている。けど、これはタレブが大嫌いな危ない戦略ですね・・・。

ひたすらバイ・アンド・ホールドという選択肢もあると思いますが。

オプションを適切に取り入れることで、投資の選択肢が増え柔軟な投資方法が選べる、ボラティリティを下げる、アセットアロケーションの分散、下げ相場や上げ相場に関係なくキャッシュフローがプラスになるなどの利点があります。
 
また、カバード・コール(covered call)やキャッシュ・セキュアード・プット(cash secured put)はバイ・アンド・ホールドと相性が良いオプションの戦略であることも重要です。
 
ちなみに、「オプションの売り」の特に有利な点として
 
【タイム・ディケイを味方につける】
タイム・ディケイによるオプション価格の減価が有利に働く
 
キャッシュ・フローがプラスになる】
キャッシュ・フローがプラスになる、(評価額はマイナスの可能性はあるが)よって柔軟な投資戦略が可能になる。(プラスになったキャッシュ・現金で価格が下がっている他の資産への追加投資などが可能になる。)
 
インプライド・ボラティリティは過大評価される傾向がある】
インプライド・ボラティリティは過大評価される傾向がある→オプションのプレミアムは過大評価される傾向があるということになります。過大評価されたプレミアムを売り、割安になったところで買い戻すことで収益が上がります。

 

sites.google.com

  これにたまに訪れる相場の大暴騰と大暴落対応を付け加えると完璧な対応になるんだろうか・・・。

 株価の動きは以下のように、正規分布よりもほぼ真ん中の動きの少ないところが高くなるように値動きが集中し、正規分布よりも端っこが高い(ファットテール)ことが知られている。真ん中のほぼ動かないところではオプションの「売り」で対応可能だ。

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Fat Tails and Tall Heads | RCM's Attain Alternatives Blog から

 そして、端っこのファットテールに賭けるのが「ブラックスワン」で名を馳せたナシーム・タレブだ。ファットテールで起きる大変動にはオプションの「買い」で対応可能だ。

ちなみに、タレブ氏はオプションの買を推奨しています。
まあ、オプションのロングが専門のヘッジファンドを運用しているので当然だと思いますが。
私はカバードコールのオプションの売りがメインなので、著者のタレブ氏とは投資スタンスが正反対です。
ただ、「確率は低いが稀に起こる期待値が高い賭けに参加する」というのは合理的で有効な戦略だと思います。

タレブ氏のオプションロングはブラックスワン待ちのロングであり、単純に株価が上がると思うというロングではありません。

本書はタレブ氏自身が自分の戦略を「ボラティリティ・ロング」という表現で紹介しています。ちなみに、素人が実践するには精神的にも技術的にも難しいと思います。
以下に、この本で面白い・参考になった箇所を抜粋します。
(抜粋P.72)弱気派は急騰でハエみたいにバタバタ落ち、強気派は音楽が止まると絵に描いた餅の利益が消えて皆殺しだ。でも、一つだけ例外があった。オプションを取引をしていた連中の一部(オプション買い派と呼んでいた)は目覚しい持久力を発揮していた。私もそうなりたいと思った。
オプションプレミアムの需要な要素にボラティリティーがあります。タレブ氏のオプション買いは、ブラックスワンが現れたときに大勝するポジションなのでしょう。
(抜粋P.84)私が仕事を始めたころ、雑音に耳を澄ませている連中を見るのは我慢がならなかった。そうやって情報を手に入れようとしても、統計的に有意ではなく、だから意味のある結論は出せないからだ。
まあ、ニュースを追ったところでそのニュースから統計的に有意義な要素を抽出するのは不可能でしょう。相場を予想するのが不可能なのと同じことで。
(抜粋P.134)私がずっと市場でやってきた仕事は、「歪みに賭ける」と言うのが一番合っている。つまり、まれな事象で賭けるのだ。稀な事象はめったに起きないけれど、その分、実際に起きればとても儲かる。(抜粋P.135)オプションを買えば90%の割合で損をするという統計は、残る10%のときに平均でいくら儲かるかを考えないと、明らかに意味がない。オプションを買ってイン・ザ・マネーで終わった場合、賭け金が50倍になるのなら、オプションを買うのは貧乏人じゃなくて大金持ちへの近道だと言っていいだろう。

マッタリ バリュー投資とカバード・コール: まぐれ を読みました オプションのロング戦略、ボラティリティ・ロング戦略について

 この二つのオプション戦略を融合させたと思しきものが以下だ。要は、普段は正規分布より飛びぬけて出ている価格の変化のないゾーンをオプションを「売り」でとる。そして、緊急事態が発生するまでファットテール側の屑オプションを「買い」続ける、どちらにしろファットテール側はタダ同然の値段でオプションが売られているので、買っても大した値段ではない。

 ・ベガの性質

みなさんに直感的に理解していただきたいので、極端なケースで確認してみましょう。
IVが23%のケースと、IVが70%近辺のケースです。
IV70%というのはパニック時のIVですよね。
下記の表の左側が23%、右側が70%のケースです。
それぞれのケースのプレミアムとベガを表にしました。

6500 価格1 ベガ0.2 価格52 ベガ2.0
7000 価格3 ベガ0.4 価格88 ベガ3.0
7500 価格8 ベガ1.2 価格150 ベガ4.2
8000 価格29 ベガ3.2 価格255 ベガ5.4
8500 価格142 ベガ6.1 価格435 ベガ6.1
9000 価格13 ベガ2.4 価格239 ベガ5.7
9500 価格1 ベガ0.2 価格125 ベガ4.5
10000 価格0 ベガ0 価格61 ベガ3.1
10500 価格0 ベガ0 価格29 ベガ1.9

相場水準は8500円に固定しています。 プレミアムは、下はOTMプット、上はOTMコール、 8500円はコールとプットで同じプレミアムです。

IVは下記のものを使いました。

6500 57.64% 105.44%
7000 47.71% 95.51%
7500 38.46% 86.26%
8000 29.81% 77.61%
8500 23.04% 70.84%
9000 22.54% 70.34%
9500 23.34% 71.14%
10000 24.11% 71.91%
10500 24.83% 72.63%

まず、皆さんご存知のように、ベガはATMで最大で離れて行くのにしたがって小さくなります。
ここで、面白いのですが、IVが上昇してもATMのベガは変化しません。 
極端にIVが上昇しても6.1円のままですね。 一方OTMのベガは上昇します。 
当然ATMのベガを超えることはないのですが、結構7500Pなんかもベガ4.2円ですから ATMに負けないくらいの力を発揮しだすわけです。

屑プットを持っていて、相場大暴落時にみるみるポジションのベガが大きくなっていくのを 体験された方も多いと思います。 一つには、当然相場がストライクに近づいていくので ベガが上昇するというのもあるのですが、もう一つの強力な理由が結構ファーアウトのオプションでさえ、 それなりのベガを持ってしまうということなんですね。

兼元為太郎のFX・先物・オプショントレード報告: 通称タレブさん発言まとめ 4 of 5

 つまり、株式を長期でバイ&ホールドするのも、オプションを売り持ちするのも同じことでほぼ確実に起きる「予測不可能な暴騰と暴落」を戦略上の前提として組み込むというものだ。

 普通、人は「予測可能な何か」を探すので、「予測不可能でしかも確実なもの」を探さないので、この戦略が成立するのだと思う。

 

参考になる本

オプションボラティリティ売買入門 (ウィザードブックシリーズ)

 

参考に読むと勉強になりそうな記事

Pr0002【厳選必読本リスト/日経225オプション編】 | ゑもんレポート【オプション取引戦略編】-ブログ版-

日経225オプション取引で1億円を稼ぐまで 私の投資ツール紹介

日経225オプション取引で1億円を稼ぐまで 本の紹介

 

人工知能に対する狂熱の起源も説明するかも 「偶然を飼いならす」イアン・ハッキング

 イアン・ハッキングの「偶然を飼いならす」は名著すぎる本。

 統計に興味があるけどその概念が良く考えてみると良く分からないと感じている方、その漠然とした疑問は正解です! あるいは人工知能の限界って何なのっていう疑問にも答えてしまうかもしれません! 人工知能はすごい簡単に言い切ると相関を測るだけなので、因果は何も明らかになっていない。それでもそれが、「決定論的」に見えてくるというのは、かつて統計によって人間の運命が決まっているとやや恐慌状態に駆られた19世紀の知識人たちが思考を巡らせたのと同じ流れの再来なのではないかと感じさせたのが「偶然を飼いならす」。以下のラプラスの言葉が現代にリフレインしているのだと思う・・・。

自然を動かしているすべての力とこの自然を構成している諸存在の各々の状況を理解できるような知性が存在し、さらにこれらのデータの分析ができる能力を持っているとしたら、この知性は、宇宙で最も大きな物体の運動も最も小さな原子の運動も同一の方程式で把握することになろう。この知性にとって不確かなものは何もなく、未来は過去と同じようにその目の前に存在するだろう  ラプラス「確率の哲学的試論」

 今、まったく同じ文章を「諸存在の各々の状況を理解できるような知性」を「人工知能」と読み替えても違和感は全くない。だけど、はたして「人工知能」が全能であることは私たちにとって大切なことだろうか。

 たとえば、サンプルから母集団が推定できるという今や当たり前の考え方って、本当でしょうか? 本当に今までのサンプルは母集団なるものを反映していると信じられるのでしょうか? 本当に背景に母集団があると信じられるでしょうか? 日本人女性の平均寿命が延びたと聞くと、何となく日本人全体のことが分かったような気がするのはなぜでしょうか。平均所得という言葉で自分と社会の位置関係が理解できたように思うのなぜでしょうか。その数値と私に関係がある、と感じるのはどうしてなのでしょうか。確率的に計られる社会全体の病気の発生数と、自分自身の個別的な健康とは、全く違うものなのではないでしょうか。

 色々なものが正規分布したりべき分布したりすると言われるけど、だから何なのでしょうか? それって本当に何かを説明していることになっているでしょうか。分布は繰り返される? 何を根拠に?

 たとえば以下のような文章にいかに確率的な思考が我々の骨の髄まで食い込んでいるかが示されている。すべてが相関で語れると信じる狂熱。その「相関関係」と「因果関係」とは何であるかを考えているとは思えない・・・。

とはいえ、実際我々の人生は常に相関関係で生じているといえるだろう。偶然ある場所にいたことである人に出会う確率が高まる。どのタイミングで誰と出会うか、それらは結婚ですら相関関係で決まっている。すなわち、結婚するにしても「この人でならなければなかった」理由は本来的には存在しない。しかし、人は相関関係を因果関係で捉えようとする。試験に落ちれば過去の勉強量不足を原因とした因果で捉え、成功すれば過去の努力を因果でとらえる。だが「〜をしたから〜になった」といった因果関係が、実際にはすべてを捉えることは不可能であるばかりか、世界のほとんどは相関関係でできている。それでも人は、因果で捉えなければ自身を納得させられない。

 人工知能が発達し、相関関係で捉えられた未来に我々は納得できるのだろうか。いや、しかし、こうした想定もまた因果関係で物事を捉えているからにほかならないのではないか。30年後の未来では、相関関係で物事を捉えることに人間がマインドチェンジしているかもしれない。 

wedge.ismedia.jp

 私たちは、偶然が支配する世界、確率的な世界という概念に気付かないうちに溺れるほど浸かっているけれども、それって本当に心から信じていいものなんでしょうか。相関関係にしろ因果関係にしろ、たった一つの概念で物事を捉えることが本当にいいことなのか。

という厄介な疑問を抱えることになる困った名著です。導入編として「現代思想2000年1月号 確率化する社会」を読んでみると入りやすいかも。いまさらでごめんなさい、ハッキング! すごかったです。

 【概要】

  決定論は19世紀中に衰退し、偶然chanceという自律的な法則のために空間が開かれた。また、人間本性human natureという概念はばらつきdisper-sionの法則に従う正常人normal peopleというモデルに取って代わられた。これら二つの変化は並行して起こり、相互に影響を与えあっていた。偶然は世界からの気まぐれを減らし、言わば混沌から秩序を生み出したために、その正当性を認められたのである。世界と人々について我々が行う概念化において非決定論の要素が強くなるにつれ、逆説的であるが、期待できる統制の水準が高まってきたのである。

 これらの出来事はナポレオン時代の終わりの<印刷された数字の洪水>から始まった。さまざまな人間行動、特に犯罪や自殺などの悪い行いが計測されるようになると、それらは毎年驚くべき規則正しさで起こることが分かった。社会の統計法則が、逸脱についての公的な統計表から出現してきたのである。平均やばらつきのデータが正常人という概念を生み、さらに新しい社会工学、つまり望ましくない階級を改良するための新しい方法を生み出した。

 19世紀初めには、統計法則は根底にある決定論的な出来事に還元できると考えられていた。しかしやがて、統計法則の方が優越することが明らかとなり、紆余曲折を経ながらも、ゆっくりと決定論を侵食していった。やがて統計法則は決定論に依存せず独立した法則とみなされるようになり、その影響は自然現象にまで拡張された。こうして、新たな種類の「客観的知識」が存在するようになった。それは、自然や社会過程についての情報を獲得するための新しいテクノロジーの産物であった。このようにして正当化されるようになった統計法則は、出来事の過程を記述するためだけでなく、説明し理解するためにも使用されるようになった。こうして自然と社会の基盤を形づくる素材になったという意味で、偶然は飼いならされたのである。

 

 

不動産投資セミナー 

参加したセミナーの内容です。

「投資を始める前に自宅を購入したが、属性的にローンが組めなかった。そこで、任売物件を購入した。すべて自前で一カ月かけてフルリフォームをかけた。まだ生まれたばかりの子供がいたが、B級品のフローリングとかホームセンターで材料買ったりとか、足場だけ職人さんに組んでもらって知り合い総出で壁にペンキを塗ったりした。

銀行は、土地だけは担保にしてお金を貸しつける。

2年間で300冊の本を読んだ。図書館で片っ端から不動産関連の本を借りてきて、タダなので適当に読みがして、良い本だけ購入して何度も読み返した。ただ図書館の本は古いので出版された年度や、その状況を考えて読むことが大切。状況は変わってしまうので、今にあてはまるかどうかは分らない。しかし、基本的なことは変わらない。路線価などの概念は変わらず使えるもの。

大切なのは、不動産だけでなくて経営とか政治・経済の本も学ぶこと。

借金はやはり怖かった。

不動産屋さんも人間なので商品券などを贈られたりしたら悪い気はしない。何でもないときに贈るのが大事。

政治が大切なのは、例えば駐車場経営に影響する。2006年の道行法の改正で路上駐車が厳しく取り締まられることになった。それがきっかけで、コインパーキング事業を始めることを思い立った。知り合いから土地を借りることができた。土地を貸す人にもメリットを作らないといけない。運営法人に入ってもらうなど。

物件は、不動産屋さんが売っている。投資家が上から目線で入るのはおかしい。嫌な人がオーナーだと管理会社も客付けをしてくれなくなる。お掃除をしてくれる方にも、事細かに指示を出すよりも、「お任せする」という姿勢を大切にしている。ペンキを塗り変える作業なども知り合いからの紹介で工務店さんをお願いした方が良い。人間関係がないとうまくいかない。

何よりチームづくりが大切。

何か売主に問題があったりして投資家が逃げていく物件があったりする。そういう物件でも、不動産屋さんを味方につけて更地にしたときの売値を聞いておくなどで、買値としてリスクのない価格を知っていれば、値下げしても買えるかどうかが分かったりする。

先に借主を決めてから購入しても良い。入口を間違わないことが大切。

勉強するだけでなく不動産屋さんに行って物件を見ることが大切。買付を入れてもやめてもいいので。

もしローンを借り換えする必要が出てきても、積算が残債より出ている物件が良い、借りかえしやすい。

コインパーキングは人が集まるところ、道が狭くて通行がしにくいところ、などは有利。お寿司屋さんとかお風呂屋さんがあるとか、マンションがあるけど駐車場がない、病院があって病院関係者の停車が予想される、など理由がある場所が良い。

借地の方がすぐに撤退できる。

場所によって台数は決まる。住宅地だと4~5台くらいか。

地方の方が、土地の値段に歪みがあるのでやりやすいかもしれない。

駐輪場をやっている人もいるが、駅前の導線を理解することが大切。

手狭になると引っ越してしまうということを防止するために物件の中にトランクルームを作っておく人もいる。

「億万長者より手取り1000万円が一番幸せ!!」がお奨め本」

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