バフェット、マンガー、ソロス、タレブ、多くの投資家が共通して言い続けているのが、人間の認識にはバイアス(歪み)がある、ということだ。でも、 バフェット、マンガー、ソロス、タレブは人間なので認識にバイアスがかかっている。
バイアスの分かりやすい事例として、競馬では「穴馬バイアス」というのがあるらしい。
実は経済学の文献の中では、競馬のオッズには「穴馬バイアス」と呼ばれる歪みが存在することが知られている。これは、馬券購入者達は穴馬(オッズが高い馬)を過剰に好むので相対的に穴馬の馬券が割高になり、逆に本命馬(オッズの低い馬)の馬券は割安になる、というアノマリーである。このアノマリーは世界各地の競馬で恒常的に観測されており、統計的にその存在が確かめられているものである。(参考:「穴馬への過剰な選好 (longshot bias)」に関するサーベイ)
バイアスがあると、AとBという選択肢のうちAばかりが好まれて、Bが極端に安くなってしまう。しかも、バイアスの出方は、市場が違うと真逆になる。ニコラス・タレブが常に半ギレになりながら指摘するオプション市場のバイアスは、競馬と反対で「本命バイアス」がかかりすぎていて、穴場のオプションが激安になるというズレが生じている。
ところが、バイアスが全く無い状態にしたらいいじゃない、というわけにもいかない。人はバイアスがないと何も判断ができない。情緒がどうやら脳の原動力になっているからだ。(おかしなことだけど、バイアスに対して敵意を持つのも情緒があるからだ。自分が間違うことが許せないのは明らかにバイアスだ。間違うことがなぜ悪いのか。)だから、意思決定に人間が介在する限り、意思決定される何か(選ぶかどうか決めなきゃいけないものすべて、資本市場や商品が取り引きされるすべての局面、経済活動のすべてや、経済に関係ない結婚とか友情とか)で、本質的にバイアスが無くなることがあり得ない。
進化の観点から、人間は自分が時間をつぎ込んだ考えに忠実になるよう仕込まれていると信じられる理由がある。(信念の経路依存性)市場での活動以外でも良いトレーダーだったら、どんなことになるか考えてみるといい。毎朝八時に起きて、それまで好きだったものも忘れ、妻なり夫なりとの関係を続けるか別れるか決めないといけない。・・・純粋に合理的な行動をとる人間は、扁桃体に異常があって、愛着という感情が阻害されている可能性がある。
もっと言えば、新しいビジネスの普及と崩壊の仕組みも心理的なバイアスに起因している。あるサービスが成長するのは、「みんなが選んでいるからたぶん間違いないだろう」というバイアスとヒューリスティックスの賜物だし、そんなサービスを打ち破る新しいものが出てくるのも、「よーく考えてみると、こんなサービスの何が良いんだろうバカ高いし、楽しくもないよね」という気づきがあるからだ。
だから、スタートアップは常に「誰も気づかないこと」に気付かなくてならない。
こういう考え方を要約すると「いつも、『普通だったら●●と考える』というものにぶち当たったら、たぶん間違っていると結論付けておけば、必ず正解になる。」ということになる。これって、かなり単純な構造になっていて、バイアスという基本構造が遺伝子レベルで不変なのであれば物事の構造自体は,スーパーカンタンなままだということを意味している。
こういう現象の一つに流行語とか「バズワード」とかの現象がある。
以下が、本日時点のGoogleトレンドでの青:IoT、赤:フィンテックのトレンドの変化だ。日本国内での検索結果だけに絞ってある。明確に「フィクテック」のトレンドが下降線を描いている。
ある「キーワード」は人の頭の中でカンタンに構造を作るのに便利で、物事の全体像をすっきりさせてくれる。だけど、すぐにブームは去るもので、これからはコレだ!と思いこんでも外れることが多い・・・。
たとえば、Airbnbで民泊をやろう、というフレームが提示されると同種の別のアプローチ(他のサービスを使うとか、そもそももっと収益性の高い戦略が他にないのか)は切り捨てられて、大体の人がAirbnbのサービスの中でどう一位を取るか、という考え方にとりこまれる。
そして、プラットフォームは一時的に栄えるけど、すぐに別のものに取って代わられる。
こういうことは、手をかえ品をかえて何度でも起きるので、なかなか同種の構造であるということに気付きにくい・・・。だから、注目を集めているものの裏側で起きていることや、それでリスクを取っていないのに儲けている人は誰かに気をつけた方が良いと思う。
もっと大きいフレームで言うと、銀行とか個人向け金融などの金融システム、資本主義、会計簿記のフレームも、人を支配する概念として強烈なものがある。
新興国で銀行システムや個人向け金融、ソーシャルレンディングなどが発達するのは、新興国では個人の少額投資でも収益性が見込める機会がたくさん存在するからだ。たとえばオートバイを買えば、手持ちの商品を収益機会のある場所に移動できるようになる。この基本的なフレームは、近所の人のちょっとした成功を目撃させ、社会性を伴って病原菌のように成長するだろう。「金融・資本主義・会計簿記」の3フレームは、それが浸透していなければ、熱狂を持って広がり、止まることがない。これは、チャールズ・マンガーがコカ・コーラの社会性を伴った伝播に感じ取ったものと同じもので、止めることが出来ない。*1
シナリオの確定性は、人間のバイアスに立脚している。もし、このバイアスに立脚していない商売で勝てるものがあるとしたら、それは本当にランダムな偶然なものでしかない、と思う。
必勝のポジションは、常にバイアスという強烈な確定性の上に築かれた多少のゆらぎに賭けるものである。*2人間のバイアスの現れ方は多様なので、時期によって必要な戦略は全然違うものになる。
たとえば、バリュー投資的手法が通用する時期と、モメンタム投資が強い時期に移行し、次第にボラティリティが高まって、ボラティリティ大地震発生後の余震で儲けるフェーズへ、最後に一方向での暴落が始まりモメンタムで放っておくことが最大利益になり、またバリュー投資の時期になる。
でも、これをすべてとりにいくことは、それぞれの状況をバイアスのかかりまくった人間が見分けるという難しさがあるから不可能に近いかも・・・。そして、そもそもバイアスが大嫌いだからバイアスを避けているぜ、と思っている投資家自身のバイアス半端ないから、あれ。*3