なんで自民党支持する人が多いのか 自由からの逃走

なんで自民党の安部政権を支持する人が多いのかというと、自由が強すぎて多くの人が不安だからなんではないか、という記事にエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」が紹介されていたので読み始めたけど、すごいこれ最高。

今を生きる人の本質的な不安と、それを解決するために仕事や名声の獲得に没頭する様を描いている最高の本だった。この根源的な不安から現代において形成されている全ての仕事やサービスや、今日の政治的な権威主義までが説明できるというすごい本だった。まだ途中までしか読んでないけど。必読でした。

――そして小泉さんが登場するわけですね。

 そうして「消極的自由主義」を進め、新自由主義を押し進めていくと、どうなるでしょうか。

 自己責任で自由を与えられていくと、人々はどんどん孤立し、孤独になっていく。そうすると、人は不安になる。その結果、強いリーダーに引かれて権威主義者に飛びついていく。これがナチスで起きたことだと、E・フロムが『自由からの逃走』で指摘しています。自由を与えられたゆえに、人々は自由から逃げて行く、という逆説的現象です。

――――「消極的自由主義」にも「自由のパラドックス」はあるわけですね。

 新自由主義ではこれが起きやすい。全部「自己責任ですよ」と言われると、人は不安になるので、ズバッと言ってくれる、断言してくれる権威主義的パーソナリティに流れやすいんです。リベラルを捨ててパターナリズムに陥ってしまう。橋下現象がその典型ですね。

 

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まだ、最初の方しか読んでないけど、いくつか引用すると

個性化の過程のほかの面は、孤独が増大していくことである。・・・子供はその外界から脱け出すにつれて、自分が孤独であること、すべての他人から引き離された存在であることを自覚するようになる。この外界からの分離は、無力と不安との感情を生みだす。

・・・ここに、個性をなげすてて外界に完全に没入し、孤独と無力の感情を克服しようとする衝動が生まれる。・・・それはどうしても服従の性格をおびることになる。しかもそのような服従においては、権威とそれに服従する子どもとのあいだの根本的な矛盾は、けっして除かれない。子どもは、意識的には安定と満足とを感ずるかも分からないが、無意識的には、自分の払っている代価が自分自身の強さと統一性の放棄であることを知っている。・・・服従は子どもの不安を増大し、同時に敵意と反抗とを生みだす。そしてその敵意と反抗は、子どもが依存している-依存するようになった-まさにその人に向けられるので、それだけいっそう恐ろしいものになる。

もう1つ解きがたい矛盾をさける唯一の生産的な方法がある。すなわち人間や自然にたいする自発的な関係である。この種の関係は、全人格の統一と力強さに基づいている(そのもっともはっきりとしたあらわれは愛情と生産的な仕事である)。それゆえそれは自我がどこまで成長するかに左右されるだけである。

p.39-40

宗教改革の時代が、一見する以上に現代の様相に類似していることを示すであろう。・・・十六世紀このかた現代とこれほどまでによく似た時代は恐らく存在しないであろう。・・・人間性の弱さ、個人の無意味さと無力さ、外的な力に隷属しようとする要求・・・個人の無価値、独立できない根本的な無力、服従への要求、これらの考えはまたヒットラーイデオロギーの主要なテーマでもある。

・・・現代と同じように非常に多くの人々が、経済的社会的組織の革命的変化によって、その伝統的な生活様式をおびやかされていた。とくに中産階級が、いまと同じように、独占の力と資本の優越した力によっておびやかされていた。この脅威が個人の孤独と無意味の感情をつよめ、脅威を受けた階級の精神とイデオロギーに、大きく影響したのであった。

p.48

能率という観念がもっとも高い道徳的な価値の1つと考えられるようになった。同時に富と物質的成功を求める欲望が、ひとびとの心をうばう情熱となった。

・・・もはや自然の、疑う余地がないと考えられるような、固定した場所は存在しなくなった。個人は独りぼっちにされた。すべては自らの努力にかかっており、伝統的な地位の安定にかかっているのではない。

p.68

・・・このたえがたい不安の状態や、自己の無意味さについての委縮した感情から、逃れることのできるただ一つの道は、カルヴィニズムできわめて優勢となったまさにその特性だけである。すなわち熱狂的な活動となにかをしようという衝動の発達である。このような意味の活動は強迫的な性質をおびてくる。個人は疑いと無力さの感情を克服するために、活動しなければならない。このような努力や活動は、内面的な強さや自信から生まれてくるものではない。それは不安からの死に物狂いの逃避である。

p.99

働きすぎるというのは、不安からきているものでしかないのだな。