長い20世紀を読んだ

長い20世紀」を読んだ。

下の図が書いてあることの大枠で、資本主義にはそれぞれの時代の覇権を握る主役となる国や地域がある。この覇権が移り変わる時に同じような現象が起きる。没落し始めた旧覇権地域では、金融が優位になる。有望な投資先が国内になくなるので、新覇権地域へ投資するために資本は貨幣に替えられる。そして、その貨幣を新覇権地域へ投資する。
一方で、旧覇権地域では産業への投資が行われなくなり、金融業務だけが残るので雇用はどんどんなくなり、労働者は仕事を失うようになる。これが毎回繰り返される。
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覇権国は必ず、没落するのがシステム的に決定されている。
なぜなら、資本主義は必ず利益率をどこかで耐え難いまでに低下させる。競争がある限り利益率は下がる。もし利益率を維持するのであれば、独占的な状態を作り出して産業の成長を止める必要がある。どちらの道を取っても、前者の場合は利益がないために資本主義は行き詰まり、後者の場合では成長がストップするので資本の行き場はなくなり資本主義は行き詰る。
この状態まで到達すると、必ず行き詰った旧覇権国の周辺地域が有利になる。周辺地域は覇権国よりも成長率が高い、故に資本の投資先として有望である。そのため、覇権国の資本は必ず新覇権国へ引き寄せられる。
旧覇権国は必ず、この流れを止めるために金融的に新覇権国を支配して一時的に最大級の栄光を手にする。が、この状態は続かない。
前の時代に支配する方法として有効であったことが弱点に変わる。イギリスの帝国主義的支配は全世界に圧倒的な平和をもたらしたが、それは自由貿易の押しつけとセットであり、自由貿易の中心点がイギリスとなる場合だけを容認する体制だった。
一方でアメリカは、自由貿易は推進しておらず、あくまでも自国領土内に完結する巨大市場を持つことが最大のアドバンテージだった。アメリカは自国を巨大な植民地として内部化した。反帝国主義的で、反自由貿易的であることがその力の源泉だった。
全世界へ広がる交易とその交易に携わる無数の家族主義的な中小イギリス企業間の果てしない自由競争ではなく、制限された貿易体制とあくまで企業にとっての経済圏内での垂直な統合による官僚的な大企業による内部コストの徹底的な削減がアメリカの強みだった。
アメリカの本質は、世界経済の統合ではなく、世界経済のできる限りのアメリカへの内部化であり、その大企業的な組織支配体制へ組み込めるものを増やしていくことが、大切な方向性だった。アメリカは巨大ではあるが都市国家的であるとも言える。
この先は読んだ感想
もし、覇権が移り変わるとしたら、パターンが今まで同じであれば、それはイギリスやジェノバ(とスペインの帝国主義)の様相を持ったより「帝国主義」を志向する国家・地域になるだろうと言える。
世界のあらゆるところに植民的な土地を持ち、実効支配できる武力を配置することで、アメリカの支配力を無効化できるような戦い方をできる国家・地域が生まれるかもしれない。その新覇権者は、「アメリカの支配を打破し"自由貿易"を実現すること」を、錦の御旗として世界を正義の戦いへ動員しようとするだろう・・・。
旧覇権国であるアメリカとヨーロッパは、この傾向を食い止めるために、SDGsとか地球温暖化とか社会主義(ベーシックインカム)とかの改良主義的なスローガンを繰り返すことができる。または製造業の自国回帰とか、個人情報保護とかを謳うことができる。
けれども、これは大局を覆すには至らない、というか基本的に規制強化の方向性になるので、「自由」という大義帝国主義の並び立っている世界観に勝てないような気がする。
規制強化が続くと、より自由な交易、より自由な企業が集積する地域の魅力が、世界中から人と資金を惹きつけるようになる。それは同時に、地球温暖化を阻止することを諦めることとセットになっている可能性もあり、人類の危機vs自由の戦いみたいになる。でも、この自由は人権や政治の自由ではなくて、経済活動に対する規制がないというだけだけど。