売国論争はナンセンスだと思うときに本当は起きていると思うことと、名目賃金を上げてそれを止める

売国奴的な低級な議論が増えたなーと思うときに、本当に起きていることがあるなと思った。

つまり、こういうときは、本当に売国的な行動を感情を持つ人が増えている。

売っても自分に利があれば良い、だけど、これがうまくいかない時に、自分が最初にやろうと思っていただけに、相手に対する怒りが爆発する。

政府が追い込まれていることをみんなが知っているから、この議論が成立している。

ただナンセンスなわけではなくて、実際に日本政府はかなり細い道を歩かされていると思う。そして、それでも良いとしたのは、私たち自身だから、議論は循環している。

これをどうしたら良いのかというと。

みんなで、そういう取引みたいなことを止めて思惑を止めるしかない。

 

そのためには名目賃金を上げるための政策的な手段を色々やるしかない。

これをやれば名目GDPを例えば1.5倍にできるかもしれない。

そうなれば、結構ひといきつける。国債発行の余力が次の景気後退期に備えてできるから。

様々な矛盾が噴き出すけど、ともかく定期的に支払われる賃金を恒常的に上げていくことで、フローの水準を修正しなくてはいけない。ストックを積み上げても何もかわらないことはもうわかっているので、フローに介入するしかない。

 

日本政府の細い道 名目GDPと支払金利の抑圧

前もこのブログでしきりと調べていたことだけど、日本政府は細い道を歩かなくてはならない。名目GDPを人口減少しつつも上げていき、支払金利を抑圧し続ける必要がある。これをやり続ける中で、時々あるコロナ的な特殊イベントに対応して支出を増やすと、対GDP比での政府債務がまた増えてしまう。

本当は、こうしたダウンサイドイベントを一定確率で見込んで、それを上回る速度で金利を抑圧して債務比率を圧縮したい。

だけど、名目GDPは人口減少で自動的に下がる方向で力がかかっている。

これを解決するために、金利を一定の幅以下に抑え込んでインフレをある程度容認していると、不動産価格や株高で資産格差がひらくのを止められない。そうすると、自然と富の偏在が起きて消費世界が二分されるようになっていく。

そうすると、実質賃金の上昇をしてもしなくても、住宅事情とか住宅の周辺で生涯に得られるサービスの質とかで、次第に差がつくようになっていく。これは、民主主義の質の低下を招く要素がある。

また実質賃金が上がらないと、物価の上昇に生活が追い付かなくなって、普通に働いている人が相対的貧困層に入っていくこともあり得る。

ばらまきっぽいことで解決できるかというと、資産インフレで決定的に差がつきつつあると、そこまで効果が出なくなるルビコン川を渡ってしまっているかもしれないのでこれが結構まずい。

それでも、名目で5-3%の成長を維持する奇跡の一筋を守れて、ダウンサイドを掘るイベントが奇跡のように10年発生しなければなんとかなるかもしれない。

でも、これが起きなくて2年ごとに楽しい世界終末イベントが繰り返されると、本当に信認を失う可能性はなくはない。

その可能性と、成長する可能性の両方にベットすることで、リスクは分散される。多くの企業はこの賭け方ができるはずなので、資本主義がダメになることはない。個人でも両方にベットできないと結構将来がわからなくなる。ぜひ、みなさんには両方に賭けてほしい。これはマストでお願いします。

 

焦点は、円の価値を台無しにしてもキープレイヤーが損失を出さない状況を作り出すだと思う。円が価値があってもなくても、対外純資産は増えていくと思うので、大きな問題ないみたいなことが起きる。

そうして、何事もなかったように通貨が通貨バスケット的な何かに移行されていく。

日本政府はGDPの計算方式を2008SNAに変更したので、債務超過になったことはないことになった。

以前調べていた感じでは日本政府は債務超過になっていたと記憶していたのに、なぜか最新資料を見たらそうなっていたことはないので、どういうことなの?となったけど、計算方式が2008SNAに変わった影響であることがわかりました。あー、びっくりした。どういうこと?ってなりました。

研究開発費を算入してもよいことになったり、兵器を消費から固定資本に移し替えたらしいです。日本の場合だと兵器の固定資本寄与も結構あるかも、と思いますが、その検証は誰もしてないみたいなので、ちゃんと計算すると面白いかもしれない。

詳しくは、以下などを見てください。

・2008SNA 一般政府 固定資産 政府最終支出 政府消費 の検索結果。

https://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&as_sdt=0%2C5&q=2008SNA%E3%80%80%E4%B8%80%E8%88%AC%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%80%80%E5%9B%BA%E5%AE%9A%E8%B3%87%E7%94%A3%E3%80%80%E6%94%BF%E5%BA%9C%E6%9C%80%E7%B5%82%E6%94%AF%E5%87%BA%E3%80%80%E6%94%BF%E5%BA%9C%E6%B6%88%E8%B2%BB&btnG=

 

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Jトラストの決算情報 自己資本のかつての数値回復まであと、613億円。

Jトラストの自己資本が、2022年12月期第二四半期で、133,483百万円になった。

2015年3月期で194,865百万円の自己資本だったので、あと61,382百万円で元の水準に回復。

100億円は為替差益で出しているので、さらに円安が続いて150円くらいになったらもう100-150億円くらいは増えるかもしれないけど、それで良いんだろうか。

J Trust Royal Bank Plc.に貸倒引当金が7.2億円あるのが注意を引かれる。

 

人口減少はマイナスだけではない

以前も書いていることだが、人口減少すると食料自給率は上昇する。

ちゃんとした研究も出始めている。

www.jstage.jst.go.jp

前に書いていたのはとても雑な話だが、直感的にも問題があるとは思えない。実際に飲食店のアルバイトはすごい勢いで削減されて、自動化されたスシロー店内は裏寂しさすら感じさせる感じになってきている。

サービス産業に人をおいても何の意味もない。少なくとも生産性という観点からすればだけど。人の感情とか文化的価値ではもちろん意味はあるだろうけど。

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ここではあんまり書いてないけれど、一人当たりGDPもおそらく上昇する。

当たり前の話だけど、人口が減るから生産量がそのままなら一人当たりGDOは上がる。そして、生産性に貢献しない仕事は無くなっていき資本装備率も上がるので一人当たりGDPはさらに上昇するに決まっている。

そして、一つ前のエントリーと矛盾するようだけど、政府がやっている意味があるようで意味ない需要を刺激するさまざまな政策は、おそらくは淘汰されて、その政策の下請企業は無くなっていく。

本当の生産性革命が来るのはこれからで、世界的に人口減少が始まって、温暖化で使い物にならない土地が増えると、本気で生産性を革命しないと何もできなくなるから、それは起きる。

やり遂げたら莫大な利益があるので、絶対に達成されると思う。

そして、その利潤の前には、小手先の全ての取り組みは淘汰されていくだけなので、無意味でも結果から見たら全てはなんの問題もなくなる。

目先のことを見たら、色々問題があるので、困った感じがするし、当然個人の不幸はある。

だけど、破滅的に資本主義がなくなるということはあんまりない。そんなに簡単には打ち崩せない。むしろ、いったん政治が強くなっているだけで、これからの100年では資本主義の真価を見ることになる。

サイレント社会主義の完成 私たちの付加価値または剰余価値は、官僚制の中で掘り起こされ、定期的に配給される何かになった

明らかに、日々の情報の中で政治性は高まっていっている。
経済の話題は弱くなり政治の話に終始するようになっている。

これは、そもそもは資本主義が自分を延命させたことから始まっている。
90年頃、資本主義は危機に瀕していた、と思う。(日本でというだけではない。)
資本主義が生み出した製品が、人々の欲望を満たすことができないことが明らかになっていたからだ。(それなのにソ連は崩壊してしまった。)
そうなると、資本主義的に作られた全ての仕組みが疑問に付されてしまう。
これは、かなり大事件だったはずだけど、それを乗り越える方法が発明されてしまった。

資本主義でないものはないので、虚無に直面するくらいなら、資本主義を延命させるために何をしても良くなった。
そして、答えは、株式市場や資本市場を評価軸として便利だから、すべての優位に置くということだった。
数値としての評価が向上するように全ての体制を作り替えれば、みんなの気を反らせるだろうし、ボーナスもそれに応じて出せば良い。そしたら取り敢えずの満足感は出せるだろう。
資本市場の評価額を向上させるために裏付けとなる負債を、政府の負担で作り出しても良いし、さまざまな経済主体に分散して負債を作り出しても問題ない。それによって資本市場の評価額が上昇すれば、消費の源泉は確保され、生産性ではなく欲望の刺激力を向上するための投資を際限なく続け、その行為の評価額そのものを上げ続けることが出来るという循環。
経済のサービス化という形で指標上に現れるものがこれだった。裏側で金融サービスが評価対象を求めていくことと同じで、それぞれが求め合ってこうなっている。

サービス化する経済は、大量生産に向かないので、資本にはリスクがある。
このリスクをカバーするために資本市場への分散投資が必要になり不動産に投資が偏るようになる。
全体の生産性はどんどん下がっていくため、政府は自らの役割として、資本市場の下支えを受け入れるようになっていく。
こうなると、「資本主義の延命が政治化」する。
元々は、生産性の高さゆえに「経済が政治を使役」していたのに、生産性が低下していく「経済を政治が使役」するようになっていく。

だから、資本主義は自分自身を延命させるために政治に敗北することになってしまう。
経済は、政治のために存在するもの。政治が自身の公約を実現する道具であり、公約を見える形にするイベントになる。
経済行為ではなくて、公的な形で保証された贈与行為の連続がそこに現れるようになる。

そこには、いわゆる自由市場はなくて、かつて社会主義者があれほど望んで得られなかった計画経済に似た何かが粛々と動き続けることになる。サイレントな社会主義は、やがて自由市場を守るために「望ましくない」ことをどんどん政府の部門化するようになる。

例えば、格差が望ましくなければ全ての失われた機会を公的なサービスで補填するだろう。
それは民間事業者への公募によって最も費用効率が高いとされる方法で選び抜かれた方法で提供されるだろう。
実際には、「望ましくない格差」という形で民意を需要として「仕立て上げていく」技術こそが国家運営の肝になる。
これが完成できれば、もはやマーケティング的な冒険は一切不要だ。

自由市場とは実質的に政府の下請け部門であり、民意を生み出すための扇動こそが資本配分のトリガーになる。
故に、これは政治的な成熟とすらも捉えられる。
今や、私たちは、民衆を扇動する者に悩むギリシャのポリスそのものに住んでいるとも言える。

私たちの付加価値または剰余価値は、官僚制の中で掘り起こされ、定期的に配給される何かになった。

霊的な雰囲気な写真の系譜

霊的な雰囲気のする写真をたくさんtumblrに集めていたことがあった。

だけど、それが何なのかを調べたことがなかったけど、写真を普通に画像検索すれば、誰なのかとかわかるという当たり前のことに気づいた。

まず一人目。

https://oror.tumblr.com/post/183283168430/ontheedgeofdarkness-trent-parke-midnight

oror.tumblr.com

このひとは、トレント・パークさんという人みたい。

www.hugomichellgallery.com

www.shashasha.co

こうして、一人ずつ霊的な写真を撮っているひとを集めていけば、これらの線つなげた何かがわかるはずだけど、写真史的な意味はよくわからない。写真史とは関係ないかもしれないけど。