ビットコインは勝手に予測すると一年ぐらいかけて50万円を下回る水準まで下落すると思う

すごい勝手な予測だけど、たぶん、一年ぐらいかけて50万円を下回りその後は長い低迷の時代が続くと思う。ビットコインが復活することはたぶんなくて、政府系通貨(あるいはその他の有価証券や不動産系証券や資源系資産)との間で何らかの連動性が保たれるようにされている仮想通貨や、連動性のある仮想通貨間の取引の間にある仮想通貨などが代替的に出てきて生態系が更新されると思う。

その時までは、仮想通貨の取引をしないのが正しいと思っている。すごい勝手な話で恐縮だが、仮にこの後値段が十倍になろうと百倍になろうとも長期的に持続しない生態系に対しての評価は変わらないと思う。

ものすごく小額で取引したので、全く全体の資産に対する寄与はないけど、ビットコイン取引を以下のようにクローズしたので、2.5年間の取引で約3500%(税引後)の取引になった。

2017/11/29  SELL レート 1128000円

2015/6/2  BUY レート 28100円

これままで最良・最高の結果になったけど、全然投資していないので、本当に小遣い稼ぎにしかなっていない。最大の反省点としては、なぜこのせめて十倍の投資額にしなかったのか・・・ということだけ。読みが正しくても、リスクのバランスが悪いとポートフォリオの成績は悪い・・・。当たり前のことをたたきつけられた。あと、いつも思うけど売るのが早い。早すぎる。

あと、もっと反省すればマウントゴックスのサイトを検索してたいころに気にしていた段階でなぜ、小額でも良いから突っ込まなかったのかという反省もすごいある。どうせ引き出せなくなっていたので関係ないかもしれないが・・・。

全体としてはバブルの発生メカニズムに対する信頼感が低すぎた。人間の欲望を低く見積もりすぎた感がすごいある。バブルの発生の際には必ず、仮想通貨的な、「新しい貨幣」が生み出される。そのアノマリーを正しく受け取れば、ビットコイン以外にはその資格を持っているものはなかったはずだし、その新技術感が「今回は違う」という確信を生みだすこともかなり予測できていたのでは、と思ったりするけど、後知恵では何とでもいえるということなのかも・・・。

そして、もし仮に次のチャンスが来ても、同じくらいどうでも良い金額でしかリスクははれないと思うので、自分の性格的な限界がここにあるということなのかもしれない。

ストーリーは一人の中にある

ストーリーは一人の中にある。

ビジョンやテーマと呼ばれているものは、一人より大きなもののように思われがちだけど、そうではない。心に刺さるコンテンツたりうるためには、一人の体験に発している何かからスタートする必要があるし、そんなストーリーを引き出す必要がある。

全てを包括するすごいストーリーというものはなくて、ただひたすらに一人が見ているもの、感じているもの、考えているもの、そこに戻る必要が絶対的にある。

それが言葉の始まりで、そこから先に繋がるものが出てくる。

それ以上のものはない。

すべての人に、途方もなく深いストーリーがあって、万人が語れるものを持っていると思った。どんな人でも良いと思う。どんな人にインタビューしても面白い話にできると思う。結局、一番面白いのは人で、人以上に面白いものはないような気がする。

語られる話は自分の当り前の話でなければならないけど。当たり前の話をしないと、面白くならない。自分の当たり前は、他人の非常識なので。つまらない話というのは、自分にとっては非常識だと思っている、他人から見たら当たり前の話なのかもしれない。

幸福感は習慣化と関係がある仮説

価値観軸でも届くメッセージは作れると思う。届けるだけなら。

けど、行動に移るとなると、もっと身体的なものが必要だと思うのです。

それが習慣化。

毎日会社に行くとか、毎朝珈琲飲むとか、決まったパターンで飲み屋に行くとか、決まった時間に帰るとか、毎週必ず教会に行くとか、何か決まったことを繰り返すことですね。これが幸福感とたぶん関係がある。

習慣はフレームを生みだす。人は、習慣や習慣の集まりとしての仕事によって、自分に対してフレームを作る。習慣が滞りなく進んでいるかどうかで自分を測る。

フレームは、身体の外側、手触り感が分かる場所。自分というものの輪郭が得られる場所。なので、とても大切だ。

実際には、それは輪郭でしかないので、ほとんどの習慣には実質的な意味はないし、たぶん仕事の大半も、輪郭としての意味しかないけど、人にとっては大事だ。

なので、人の習慣化に何か効果をもたらすようなことを考えると良いと思う。

資本主義の根幹は、記録による行動の習慣化と意味づけなので、これが最もベーシックな行動と幸福の結びつきなんではないか。

 

共感しないことを共感するマーケティング

ちょっと前の記事だけど、これを思い出したので。

cakes.mu

世界はますます、自己啓発から「共感」の時代に、コミニティの時代になっていくと思うけど、一方でその圧力がうっとうしい人も増えていくと思う。そこに、価値を見出してマーケティングのターゲットにするという論理も出てくると思う。

oror.hatenadiary.jp

共感しあってはいないけど、仲間で戦友ではある、というようなことがあると思う。

それを言葉にするのは難しいのだけど、ポジションとして

  • 自己啓発型世界変える系
  • 趣味大好きコミニティ系
  • 群れないローンウルフが群れている系
  • 威信を上位下達型飲み会サークル系

など、いくつかある類型のどれを用いて、帰属意識を作り出しているのかは考えると良いかも。

企業への帰属意識は、基本的には支持政党への帰属意識と同じで合理的ではなくて極めて感覚的なものでしかない。野球団のどれが好きなんていうことに、全く理由がないのと同じだ。それでも、人は帰属意識のとっかかりを見つけて、それを変えることがない。

共和党支持者には権威主義者が多いとされているけど、会社も同じで同系統の心理的なフレーム、同じタイプのメンタルモデルが引き寄せ合うようにできている。メンタルモデルの出てくる起源は、結局のところ経営者で、経営者が抱いている世界に対する見方が、社員に反映されて、それが反響し合うかどうかで帰属意識が変わってくる。

群れない系が良いと思っている系の人は、それでも群れようとするので、その群れ方の作法を作り出すことでマーケ的な成果をあげることはできるんではないかと思う。

群れのことをちゃんと生物学のメタファーで考えると、ローンウルフというのは群れの力学に敗れた者なので、別の群れに吸収されないと弱いまま生きなければならない。リーダーとの闘争に敗れることは自然の力学としてあるので、必ず彼らは、彼らを集める自然な帰属性を持った集団を必要とする。

敗れることの必然性。運命。敗れた者は、必ず栄光に向かって立ち直るというストーリーとかは、引けるな・・・。共感しあうコミニティに対する怒り、その裏側にあるのは、自分こそが共感をされるべきリーダーたりうるはずなのに、敗北したという怒りとそれを認めないプライドがあるので、そこをドライバーにすると良いのでは。

構造としては、「●●は、ここではできない。」「なぜなら、集団が出来上がっているから」「だから、新しい場所で始めなおす必要がある」に持ち込む必要がある。

 敗れたヒーローは、新しい場所に流れつくけれど、最初は周囲となじまない、あるいは敵対さえする。そこで、喧嘩やもめごとが起きるけれども、次第にお互いの個性がわかってきて共通の目的を達成したりするようになる。そして大きな試練のとき。彼らが彼ら自身の仕事をしなければ乗り越えられないような瞬間がきて、ヒーローは逃げ出そうとしていた、ここが居場所だと思うようになる。というような流れなんだろうな・・・。

共感しない自己を自己の物語として再生することができる、という共感。

『スターウォーズ 最後のジェダイ』を見てつまらなかったというか激しい心理的葛藤にみまわれた

スターウォーズ 最後のジェダイ』皆さま、ご覧になられましたでしょうか。

私は、生まれて初めてスターウォーズシリーズを見てとても辛くなる、という体験をして動揺しています。見れば見るほど落ち込んでいくというか。何でしょうか。

つまらない、という説もあるんですが、つまらないというよりは、心がつらい。

まず、人が死に過ぎてつらいです。『ローグワン』の時も、登場人物が死に過ぎて辛かったのですけど。最近のスターウォーズ、簡単に人が死に過ぎじゃないだろうか。前からこんなでしたっけ・・・。冒頭の爆撃機の特攻とか辛すぎるし、それが崇高な死でもないし、直後で否定すらされるし、何なんだ。しかも特攻は良くないと言われてるのに、後で提督が自艦をハイパースペースに突入させて特攻するし。何なの。人命を尊重したいのか、それとも正義のためなら死んでもいい的なものなのか。どんどん混乱するし、つらい。しんでほしくない。

戦争シーンも全体的にリアリティが増していてつらい。展開は雑なのに、描写が細かくなっていて戦争を思わせる描写になっているのがつらい。無駄に塹壕とか描かなくてもいいのに。しかも、何で塩田に塹壕掘るんだろう・・・。絶対しぬじゃん。基地の内側から攻撃するとかはないの・・・。戦争の悲惨さを描きたいのかもしれないけど、何かスターウォーズ世界でやられるととてもつらい。見ていられない。

あと、カイロ・レンがつらい。何でダースベイダーは見てられるのに、レンはダメなのか。前作はまだ迷いがなくて良かったけど、迷いまくっている悪役ほど見ていてつらいものはないということが良く分かった。ムスカ大佐を見習ってほしい。悪は一切の葛藤を超越したサイコパスの天才でないといけないので、こんなに人間性のある悪は、ちょっとだめ。レンがレイに手を差し伸べるシーンは、皇兄ナムリスがクシャナと一緒に暁の帝国を作ろうと言うシーンとそっくりだけど、全然違う。

ナムリスには迷いというものが全くないけど、今回のカイロ・レンは、レイに出会って下心がありすぎてダメだ。悪だったら、もっとストレートに奪いにいかないと。何か下僕感があってつらすぎる。絶対的な自信を持って俺に惚れるだろ、ぐらいでないとこっちが落ち込むんですわ。

そして、ルークもつらい。何だこれ。甥の教育に失敗したら人生おわたみたいな落ち込み方。そんなに自分の人生に期待しすぎるなよ・・・、そこまで重圧に感じさせてごめん、こっちもそんなつもりでジェダイにあこがれてたわけじゃないんだ、とどんどん何か自分のせいで、ルークが落ち込んだみたいな転移がきてつらくなってくる。あれ、子どものころのあこがれが罪だったのかな、ごめんみたいな。どんどんつらい気持ちになってくる。

映画的に変なところがいっぱいある、という指摘はたくさん読んだ。だけど、それはあんまりどうでも良くて、スターウォーズは、確かに家族のドラマが中軸にあるファンタジーなんだけど、これだとバランスが悪すぎるのでは、ということが気になってつらい。カイロ・レンに父親を殺させたりとか、物語のコマとして登場人物を扱っている感がする。何か、やさしさがないというか。フォースの覚醒のときは、それほど気にならなかったけど、もう今回のレベルになると、心が拒絶する感じ。

特に、つらかったのが、レイがルークに、何で直接話しに行かないの、行かないなら私がいく、と言うシーン。しんどかった。まるで、自分に言われているような気がした。レイに本当にごめんなさいと謝りたくなった。

しかも、そのあと、ルークが意を決して行ったと思ったのに、全部遠隔から残像飛ばしているだけで実は完全にひきこもりのまま死ぬとかも、本当につらい。心が張り裂けそう。ぼくは昔引き込もりだったから、これ、いま、こういう問題で苦しんでいる人がみたら絶望するんじゃないかなとすら思った。わかんないけど。きっとレイみたいな女の子のことは嫌いになるんじゃないかな。嫌いになるとこまではいかなかったけど。少し苦手だなとは思ったな・・・。でもレイは正しいし、どうしたらいいんだ。

制作者の意図がどこにあるかはわかんないけど、全体にひきこもりの男子から見た世界のまんまな感じがして、非常につらいのです。そんな風に思う人があんまりいないから、ぼくだけの感想なのかもしれないけど。スターウォーズつらい。

と思ったら、ほぼおんなじ感想があった!! すでに「フォースの覚醒」のときから同じ感想があったんですね。すいません、「最後のジェダイ」になるまで気づかなかった。

www.gizmodo.jp

悲しいのが、旧三部作での数々の戦いや勝利にも関わらず、それ以降のルークやレイア、ハン・ソロの人生が、基本的には惨めであることを本作が決定付けていることなのです。

「惨め(miserable)」という言葉がぴったりハマると僕は思っています。ハン・ソロとレイアなんて、彼らの子どもがダークサイドに堕ちてしまって、これがトラウマになって別々に生きることになっていた。ルークはジェダイ復活に失敗しているし、多くの人が死んでいくなか、甥っ子がダークサイドに堕ちてしまうのを防ぐことができなかった。それが原因でルークは自ら長年姿を消してしまうことになる。長年親しんできた私たちのヒーローたちは苦悩とともに孤独に生きていたことになるのです。

そうなんですよ! ギズモードUSの、Katharine Trendacostaに、最大の賛辞を贈りたいね!

そういうことです。これだと、本当にルークは何だったんだということになるし、こんなのは耐えがたい・・・。いや、ルーカスの心象風景的には、そうやってシリーズが閉ざされていくのは歪んだ勝利感があるのかもしれないけど、「子どもに夢をあたえる神話」つくりたいっていう初期の志はどこに!!!!!!! と叫びたいんですよ。

これだと夢も希望もないじゃん。エピソード9ですごいことになるのかもしれないけど。それが叶わなかったら、ぼくの中ではスターウォーズは、不幸なストーリーとしてもう見られないものになってしまうと思うと、それが哀しくてつらいです。大切なものが失われる感じです。ああつらい。 

つらつら考えると、きっと、こういう苦しみもすべて、きたるべき民主化されたフォースのための産みの苦しみだったんだ、みたいなことで片づける予定なのだと思うけど、そういう考え方そのものがつらい感じがする。

大義を奉じるみたいな考え方になってないか。フォースなんて何となく作られた言葉でしかないのに、それを誰もが持っているものするとか、のために色んな人が苦しんだり死んだりするのを見たいだろうか。

仏教の三世の話をこの前聞いたけど、過去世・現世・未来世は繋がっていて、いまこの瞬間にすることが一秒先以降のずっと続く未来世につながるから、今をちゃんと生きようぜ、的なメッセージなんだそうです。変えられない過去にこだわりすぎなエピソード8には、絶望を感じるけど、きっと来るだろうエピソード10,11,12の未来の新シリーズには、この反省点を踏まえて、過去とかがわからなくなる数百年後とかのレベルで時系列を離してしまってほしいです。

追記ですが、以下の感想がいちばんしっくりきた。長々かいてごめんなさい。サンスティーンの感想で良いです。この通りです。

cruel.hatenablog.com

昭和ホールディングスの掲示板の人はすごい

本当にすごい。論理の跳躍が面白さを持つのは簡単じゃない、のでこれは非常に良い。 

毎日毎日株価を見る。しかし値は上がっていない。だけどこの苦痛を毎日毎日絶えることによって自分の相場感はちょっとずつ形成されていっているよ。1年前の俺はもっと株価に対してビクビクしていたけど、大局を見据えて構えられるようになってきたな。下げてもビビらんし上げてもビビらんようになってきたよ。それが麻痺しているのか、腹が据わってきたのかはわからないが、自分では度胸がついてきたように感じる。ビクつくことはなくなってきたな。下がってもドンとこいだ!! 

No.93037 毎日毎日株価を見る。しかし値は… - 5103 - 昭和ホールディングス(株) 2017/09/22〜 - 株式掲示板 - textream

 「だけどこの苦痛を毎日毎日絶えることによって自分の相場感はちょっとずつ形成されていっているよ。」

ここに相場感という言葉を入れられるのすごい。すべてを逆にとらえていく感じ、何というか気持ちの良い飛躍感。そして、苦痛を乗り越えると上達がある的な感覚をここに導入してくるのかという驚き。

ガチホの皆さん、今週の週末は株価のことはきっぱり忘れて気持ち入れ換えてまた来週から頑張りましょう!!

私も皆さんと同じ立場です。

株価を見ては耐え難い気持ちもありますが、共に頑張る者達がいれば励みにもなると思います。気を強く持っていきましょう!!

私は会社を信任するよりもむしろガチホで同じように頑張るあなた達を心の頼りにしています。よろしくお願いします。

No.93038 ガチホの皆さん、今週の週末は株… - 5103 - 昭和ホールディングス(株) 2017/09/22〜 - 株式掲示板 - textream

「私は会社を信任するよりもむしろガチホで同じように頑張るあなた達を心の頼りにしています。」

 これもすごい。通常価値があると思われているものを逆にしていく感じ。

 ヒトはなぜ笑うのか、という本を思い出しました。メンタルスペースの誤信念を検知することに対する報酬としての笑いという仮説を提示している本なんですが、掲示板の書き込みにひたすら感心するぼくは、多分、客観的真実というものが株価に関してあるという誤信念を正してくれる内容にしびれているのかも。

 

何というか、投資というよりは日常的な人の感性というのはそういう感じだ。職場や家庭でも、みんな「社長ではなくて、ガチホで頑張る仲間たち」を頼りにしているのではないか、あるいは、「仕事の苦痛を毎日耐え忍ぶことによって、仕事観が鍛えられている」みたいなことを思っているのではないだろうか。

それって、実際には人間の自然な自己正当化なんでは。

そして、その自己正当化を日常的にしてしまうことって本当には必要ないんではないか・・・みたいなことを色々と派生して思ったりした。

 

昭和ホールディングスの株主の叫びが詩的

なんか、ここまで書けると詩的。これで実は一株も持ってない人だったりしたら、さらに面白いけど。

みんな!!俺の命懸けのガチホを見てくれ!!胃液が逆流しえづきながらも俺は売らん!!ガチホの真髄はこれからだ!!この株が紙切れになったら俺はそのまま退場する!!兄貴はお上に対しいらない挑発をして余計な怒りを買う馬鹿、弟は必要ないのに身体を痛めつけるし飲み屋で出会った従業員に対しても、ありがとうと一言しか言えない馬鹿で俺にとっての大将ではないのもわかっている。もはやこれ以降は援軍がこないかもしれない!!しかし俺は狂ってるから売らない!! 

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