共感しないことを共感するマーケティング

ちょっと前の記事だけど、これを思い出したので。

cakes.mu

世界はますます、自己啓発から「共感」の時代に、コミニティの時代になっていくと思うけど、一方でその圧力がうっとうしい人も増えていくと思う。そこに、価値を見出してマーケティングのターゲットにするという論理も出てくると思う。

oror.hatenadiary.jp

共感しあってはいないけど、仲間で戦友ではある、というようなことがあると思う。

それを言葉にするのは難しいのだけど、ポジションとして

  • 自己啓発型世界変える系
  • 趣味大好きコミニティ系
  • 群れないローンウルフが群れている系
  • 威信を上位下達型飲み会サークル系

など、いくつかある類型のどれを用いて、帰属意識を作り出しているのかは考えると良いかも。

企業への帰属意識は、基本的には支持政党への帰属意識と同じで合理的ではなくて極めて感覚的なものでしかない。野球団のどれが好きなんていうことに、全く理由がないのと同じだ。それでも、人は帰属意識のとっかかりを見つけて、それを変えることがない。

共和党支持者には権威主義者が多いとされているけど、会社も同じで同系統の心理的なフレーム、同じタイプのメンタルモデルが引き寄せ合うようにできている。メンタルモデルの出てくる起源は、結局のところ経営者で、経営者が抱いている世界に対する見方が、社員に反映されて、それが反響し合うかどうかで帰属意識が変わってくる。

群れない系が良いと思っている系の人は、それでも群れようとするので、その群れ方の作法を作り出すことでマーケ的な成果をあげることはできるんではないかと思う。

群れのことをちゃんと生物学のメタファーで考えると、ローンウルフというのは群れの力学に敗れた者なので、別の群れに吸収されないと弱いまま生きなければならない。リーダーとの闘争に敗れることは自然の力学としてあるので、必ず彼らは、彼らを集める自然な帰属性を持った集団を必要とする。

敗れることの必然性。運命。敗れた者は、必ず栄光に向かって立ち直るというストーリーとかは、引けるな・・・。共感しあうコミニティに対する怒り、その裏側にあるのは、自分こそが共感をされるべきリーダーたりうるはずなのに、敗北したという怒りとそれを認めないプライドがあるので、そこをドライバーにすると良いのでは。

構造としては、「●●は、ここではできない。」「なぜなら、集団が出来上がっているから」「だから、新しい場所で始めなおす必要がある」に持ち込む必要がある。

 敗れたヒーローは、新しい場所に流れつくけれど、最初は周囲となじまない、あるいは敵対さえする。そこで、喧嘩やもめごとが起きるけれども、次第にお互いの個性がわかってきて共通の目的を達成したりするようになる。そして大きな試練のとき。彼らが彼ら自身の仕事をしなければ乗り越えられないような瞬間がきて、ヒーローは逃げ出そうとしていた、ここが居場所だと思うようになる。というような流れなんだろうな・・・。

共感しない自己を自己の物語として再生することができる、という共感。