子どもが生まれてきたときに思うこと

子どもが生まれてきたときに、一人目のときにどう思っていたかを思い出すことができない。ともかく慌てていたというか、自分がどう考えれば良いのかがわからないということの方が大きかったような気もする。なにか自分が感じるべきことがあるのではないかという印象を受けていて、自分がどう思うかはそれに引きずられていたような感じがずっとしていた。小さなことにクヨクヨする感じの人だったのかもしれない。

こどもがちいさくて壊れそうな感じもしていた。

でも、今考えると結構大きい子どもだったはずで、二人目の子どもの方が少し小さいはずなのに、しっかりしているなと思ったので、自分の心持で印象が変わるのだろうか。

目薬をまず塗ってもらっていた。

頭のサイズを測り、胸のサイズを測り、体重を三回測った。

同じ数字が二回出るまでやるのだという。

三回目で、二回目の数字と一致した。

赤ちゃんが手足をバタバタさせるので、体重が少し動いていしまう。このまま四回五回と続かなくてよかった。

その最中に赤ちゃんはよく泣いていた、声が大きい。

しっかりした泣き声なので、のどがしっかりしているのかもしれない。

おくるみに入れてもらって少し落ち着いた。

しばらく待合室で抱っこしていたけれど、ずっと落ち着いていた。

まぶしそう。

何度も瞬きしてあくびをしてくしゃみをしている。

目薬が残っていて目の周りが濡れたままで、片目だけ開いたりしている。

まだ、外の世界が良く見えているわけではなさそうだけれど、外に出られた良かったね、外はこんな感じなんだねぇと話しかける。

担当したお医者さんが、終わりましたとお知らせに来てくれるが、言うことがなさすぎて言いよどんでいた、まあ、すべて問題はありませんでした、と戸惑った後に言ってくれた。

問題がないということを言うのは難しいということに向き合っている人がここにいるのだなと思った。

あんまり笑う時期ではないと思うけど、口の角度的に笑っているように見える感じもあるので、笑っているのだと解釈して、運ばれてきた妻に笑っているみたいだね、と言う。

改めて考えてみると、子どもがこのあとどういう感じに育つかの予測がないと、何を考えるべきなのかわからないというのが一人目の時にはあったのかもしれない。

今は予測があるので、嬉しいね、楽しいねという感じで受け答えすることに戸惑いがない。見たこと聞いたことのないことは、目の当たりにすると、何を思ったら良いのかがわからない。

だから、大体の日は何を思ったら良いのかはわからないはずでもあるのかも。