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ソーシャルメディアとコンテンツ コンテンツを通じた対話は新時代の弁論術になる

ソーシャルメディアが、私たちの世界をつなぐビジョンを形作るプラットフォームになった時、コンテンツを通じて対話する技術が私たちの新しい弁論術となる、のでは、ないだろうか。そんなことを、ソーシャルメディアの役割を一言で説明している一文を見つけて、考えました。
「ソーシャル・メディアとはなにか?それは、共有されたビジョンを作り出す機会です。」
http://bugsworks.blogspot.com/2010/04/venessa-miemis.html

ソーシャルメディアが、共有されたビジョンをより深く強固に築きあげていくのだとすると、その中心に来るものは何だろうか。
twitterでは「140文字のことば」が、その真ん中にあって、人と人とをつないでいる。
この先、"ことば"を越えた"ことば"がソーシャルメディアの中心に現れ、私たちのコミュニケーションをさらに劇的に変化させるという可能性はあるのだろうか。

おそらく、その可能性は、コンテンツにある。
コンテンツは、ことばを超えた体験をもたらし、我々の我々自身とお互いへの理解を強めている。
その特質を、アメリカの哲学者、教育改革者、社会思想家、ジョン・デューイの言葉が示している。「あらゆる芸術は表現するから、コミュニケートする。芸術は、われわれが語りえなかったものの意味や、明白な行為に移すなかで聞き流してしまうような意味を、明確にかつ深く共有させることを可能にする。・・・コミュニケーションは参加を創造する過程であり、孤立し単独であったものを共有させる過程である。それがひとつの奇跡であるのは、コミュニケートされるなかで、意味の伝達が聴く人にも語る人にも経験の具体性と明確さを与えるからである。」(「学校の公共性と民主主義―デューイの美的経験論へ」p.225)。 デューイの言う「芸術」は、今日では、「コンテンツ」という幅広い概念になっていると考えられるだろう。「コンテンツ」は限られた生産者である芸術家のものではなく、誰にでも開かれたものになっているからだ。

ソーシャルメディアの真ん中にことばとともに、コンテンツがおかれるようになったとき、私たちは、さらに高速でより多くの「語りえなかったもの」を共有するようになる。今までは、つぶやきとして存在することのなかったものが明確に存在するように、これからも全ての意味の伝達は、より濃密に高度に強固に行われるようになる。
そして、コミュニケーションは次の次元に移行する。「芸術は、最も普遍的な言語の形態であり、文芸作品からも離脱して、公共世界の共有された性質によって構成される最も普遍的で自由なコミュニケーションの形態である。」(前掲書 p.223) つまり、「デューイは、メディアと大衆文化の発展によって、人と人を媒介するコミュニケーションが社会を縦横に駆使して横断し、美的経験に触発された新たな生活空間の意味生成と共同性形成の可能性が開かれることを遠望したのである。」(前掲書 p.232) 
ソーシャルメディアとコンテンツが、一つになるとき、私たちはまったく新しい世界を目の当たりにすることになる。
そこでは、語られるものは言葉だけではない、人類にとって、新しい言語の体系が追加されたに等しいインパクトがあるだろう。そこでは、コンテンツを通じて対話する技術が私たちの新しい弁論術となり、それを習得することは、私たちのさらなる自由と解放を意味するようになるのだと思う。

学校の公共性と民主主義―デューイの美的経験論へ
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