原初には、最も深い統一、静かに澄み渡った無があった。
はじめに、その統一はかすかな揺らぎを自ら生み出した。
それが始まりで。
素粒子よりも小さな最も小さな単位での揺らぎが、この世界を生み出した唯一の原因のようだった。
その揺らぎが無限の統一の中を無限に伝わっていくことが統一のすべての局面を、元の状態とは異なる状態へと導き続けた。その動きは終わりながら、決して終わらなかった。元の位置に戻って静止することなく、その内部での果てしない揺らぎが、小さな揺らぎへの連なりを永遠に生み出し続けた。
揺らぎが始まったその瞬間に、原初の統一は己自身を知り、そして瞬時にその姿を忘れた。二度と統一に戻ることも、その形を似せることも、できない。それは揺らぎの瞬間に同時に現れた姿であり、その瞬間以降にはたどり着くことのない姿だった。
原初に辿りつく方法はなく、思い出す方法もない。
未来と過去が円環でつながれていることもない。
しかし、原初の統一は、わたしたちの近くに、たった今とその前の瞬間の間にある。
わたしたちの目の前に広がっては、閉じている。
それは空中を浮遊する平らな平面のようなものとしてある。
わたしたちの時空は、原初の統一の中にあり続けてもいる。
驚くべき静寂が、日常の空間の向こう側を闇のように照らしている。
視界がはげ落ちていくように、原初の統一が浸透する。
すべてが始まった。
今、常に、すべてが始まる瞬間を転げ落ちつつある。すべてのマイクロ秒のさらに小さな単位の間に、原初の始りがある。
始り続け、終わることがない。水滴のように滴り落ち続ける世界。
すべての世界には、関わりがない。すべては、お互いに知り合うこともなく崩壊し続ける。
砕け散ることで、世界は揺らぎを生み出し続ける。
駆り立てられるように、砕けた世界を拾い集める人々がいる。
世界を素材にして、塔のようなものをつくるひともいる。かたわらで塔の作られ方を研究し、人々に教えることも始まっている。競うように塔は作られて高くなるので、それを調べて教える人たちの仕事もなくならない。
静寂はまたたいて、ゆらぎの向こうで静かに広がっている。
もうすぐ、原初の時が来る。
全ての始りの時が。
それは、いつも次の瞬間に待ち構えている。
わたしをとりまき、わたしを飲み込み、わたしを消し去る。
その闇が、わたしたちを消し去る。
原初の統一が、わたしたちの作り出したものすべてを、破壊し尽くしていく。
わたしは、17歳のわたしに戻り、自室の机の前にいる。
わたしが、始りの時に戻ったと思ったとき、わたしは天が戻ってきたのだと思った。
結局のところ、それはすべてを忘れた私自身だった。
記憶を失い、いま、突然にこの椅子と机とパソコンに向き合っているわたしだった。
なぜ、ここにいるのか、なぜ、この文章を書いているのか理解していないわたしだった。
突然に世界に放り込まれた、自分が誰なのかわかっていない人だった。
その人は、これまでやっていたことも、これからやろうとしていたことも、すべて忘れてしまっている。ただ、昔、まったく同じように机にむかって、ノートに書きつけていた意味のわからない文章を眺めていた時と同じだと思い出しているだけで。
何も変わっていない。
ここにいるのが、誰なのかわからない。
二つめの場所
忘れた人は、職場のことも他人のことも、すべての大切なものをなくした人だった。
誰かはいるのだけど、それが誰なのかはよくはわからない。
言っていることから、自分がした方が良いことは推測できる。
それでも、それが正しいことなのかどうかはよくはわからない。
思い出す方法があれば、自分が正しいことをしているのか知ることができるのかもしれない。思い出す方法を探しに行けば良いのかもしれない。
よくわからないことをノートに書き続けてもわからないままだった。
映画を作れば少しはカタチになったのだった。
仕事はなにかのカタチになっているのだろうか。