「オープンダイアローグとは何か 」抜き書き

オープンダイアローグとは何か 」(斎藤環 著・訳)はいい。これは読んだ方がいいと思いました。

オープンダイアローグでは、医療者やカウンセラーは専門家ではあるものの診断したり、観察したりする存在ではなく、その場に巻き込まれた当事者として存在していて、つねに「健康寄り」の解釈と、クライアントに対する確実な応答を提供します。ミーティングは、必要であれば毎日、何日でも行われ、最後まで同じチームが担当します。

それによって、クライアントは混乱した状態から、確実に応答してもらえる心理的安全を得られ、チームによるリフレクティング(本人を前にした本人の噂話のような)から、次第に場によっており上げられた言葉で自身の状況を語れるようになっていきます。

これまでの精神医療のように家族をシステム的に理解し、システムに介入して病がある部分を除去したり修正するという考え方ではなく、専門家たちが当事者になることに大きな違いがあります。しかし、専門家としての役割を完全に放棄するのではなくて、「リフレクティング」や適切な「健康よりの解釈を含んだ質問」をする者として存在することが、高い治療効果をもたらしています。

依頼があると、電話を受けた人がリーダーとなり対応チームが組まれます。依頼から24時間以内に、本人と家族を交えた初回ミーティングが開かれます。なるべく薬は使わずに、本人抜きでは何も決めず、危機が解消するまでミーティングは続けられます。対象となるのは統合失調症をはじめとするあらゆる精神障害です。

そんな「オープンダイアログ」の流れは以下のようなものです。

実践のための12項目

1  ミーティングには2人以上のセラピストが参加する

2  家族とネットワークメンバー(クライアントに関わりのある人、知人や恋人)が参加する

3  開かれた質問をする(このミーティングに期待することはなんですか。などのこたえやすい質問。)

4  クライアントの発言に応える

5  今この瞬間を大切にする

6  複数の視点を引き出す

7  対話において関係性に注目する

8  問題発言や問題行動に淡々と対応しつつ、その意味には注意を払う

9  症状ではなく、クライアントの独自の言葉や物語を強調する

10  ミーティングにおいて専門家どうしの会話(リフレクティング)を用いる

11  透明性を保つ

12  不確実性への耐性

p47-48

対話では、言葉だけでなく非言語的なしぐさや表情や会話のリズムも受け止める。そのため、遠隔でのミーティングは想定されておらず基本的には対面で進めることが想定されています。

6は、オープンダイアローグの最重要要素のひとつ、「ポリフォニー」にかかわることです。ポリフォニーには二つの次元があります。外的ポリフォニーと内的ポリフォニーです。

外的ポリフォニーは、メンバーの多様な意見を多様なままで受け止めることです。多様な意見をまとめて合意に持ち込むのではなく、多様なままでポリフォニックな状態を維持すること。すべての発言に機会を与えること。

・・・一方、内的なポリフォニーは、個人の内面におけるポリフォニーです。内的なポリフォニーを喚起するために、セラピストはしばしば仮説的質問をします。これは、今その場にいない人の名をあげて「もしあの人がここにいたら、なんて言ったと思う?」などと質問をすることです。

7の関係性への注目については、簡単にいえば問題があってもすぐ個人の病理に結びつけずに、関係性のなかで考えるようにせよということです。ですから質問をする場合にも、家族関係やネットワーク内の関係性がはっきりするような質問を工夫することが望ましいのです。

8については、「正常化の言葉 normalizing discourse」がキーワードになります。クライアントの問題行動を、善悪や病理性という視点から考えるのではなく、そこにどんな意味があるのか、どういうコンテクストなら意味を与えられるのか、そうした点から考えるのです。

精神病理学でいうところの「発生的了解」に近い態度ですね。これに対し、症状を共感的に了解できない場合、病気と関連付けてそれを理解することを「説明」と言います。ならばオープンダイアローグでは、できるだけ症状を「説明」するのではなく「発生的了解」をしていこうという姿勢が基本にあるといえます。

・・・一般に精神科医は病理性や異常性には敏感で、正常寄り、健康寄りに理解することには消極的です・・・しかし私はむしろ、異常が認識されることで異常性が増幅される可能性のほうを危惧しています。職場などで「アスペ」のレッテルを貼られた人が、実際にコミュニケーションに支障をきたしたり挙動不審になってしまうことがよくありますが、これも同様の現象です。これは心理学でよく知られている「ラベリング効果」です。

ならば症状を「健康寄り」に見る態度が、同じラベリング効果によって、治療に寄与する可能性も十分に考えられます。病理性にのみ注目する立場が、実際に医原性の病理を作り出してしまうとしたら不幸なことです。私は多くの精神科医が、病理以上に患者の健康な部分に注目し、問題行動についても正常寄りにとらえる、つまりその意味をまず考えるという習慣を身につけるべきではないかと考えています。

p.49

オープンダイアローグの思想的な背景には、「言葉が現実をつくっている」というポストモダン以降の考え方があります。

「人間的表現から切り離された外側に、真理や現実は存在しません。治療に必要な条件は、新たな言葉や物語が日常の言説に導入されるように、社会ネットワーク上の対話の効果からもたらされるのです。この目標を達成するうえで、治療ミーティングにおける言語的実践にはふたつの目的があります。すなわち、メンバーを十分な期間参加させること(不確実性への耐性)と、ネットワークにおける重要な他者の導き(ポリフォニー)で、表現しえないことに声をもたらすこと(対話主義)です」

オープンダイアローグの背景には、「言葉」に対する強固な信頼があります。それい言い換えるなら「言葉こそが現実を構成している」という社会構成主義的な信念でもあります。だからこそ、「言葉の回復」こそが「現実の治癒」をもたらしうるのです。

p.51

また、オープンダイアローグを、別の側面から考えることもできます。「オートポイエーシス」のような考え方から眺めてみると、オープンダイアローグが目指しているものが分かりやすくなるかもしれません。この視点から見ると、人間は独立した存在ではないし、家族も独立したシステムではありえません。そこには独立した存在なくて、ただ対話を通じて対話を産出し続けるシステムの全体があるだけなのだ・・・と、理解することができます。

オートポイエーシスとは

(1)自律性・・・システムは自分に起こるどのような変化に対しても自分自身で対処します。

(2)個体性・・・システム自身が、みずからの構成要素を産出することによって自己同一性を維持します。

(3)境界の自己決定性・・・システムの作動そのものが、システムの内部と外部の境界を自分自身でダイナミックに決定し続けます。

(4)入力も出力もない・・・説明が難しいのですが、とりうえずここでは「オートポイエーシス・システムは閉鎖系である」と理解してください。

 

まだわかりにくいと思いますので、「結晶」を例にとって考えてみましょう。かつてのシステム論では、結晶をシステム、溶液をシステムの環境として、結晶を自己組織化するシステムととらえます。そのシステムは外部から観察できます。

オートポイエーシス理論では、結晶生成のプロセス(結晶と溶液の界面で生ずるような)をシステムの構成要素として、生成プロセスの集合をシステムであると考えます。この場合、結晶は生成プロセスから除去される廃棄物であるということになります。廃棄物とは、システムからの出力ではなく、作動がつづいていくかたわらに勝手に積みあがっていくイメージですね。

なかかな異様な理論ですが、これが現在の社会学や家族療法などに多大な影響を与えていることを考えるなら、ある程度理解しておいても損はないと思います。

対話が目的、治療は"廃棄物"

社会学者のニコラス・ルーマンは・・・社会システムを、その要素としてのコミュニケーションを再生産しつづけるシステムととらえます。簡単にいえば社会とは「人間」を環境として、コミュニケーションがコミュニケーションを自律的に再生産し続けるシステムということになります。先程の言い方でいえば、社会的なさまざまな事件や出来事は、「社会システムの廃棄物」ということになるでしょう。

ルーマンは人間の心的システムと社会システムとは「構造的にカップリング」していると述べました。これは、互いに互いを環境とし合うような関係で、決して融合することはないが、にもかかわらず一方が欠けると一方が消えてしまうような関係性を指しています。

この考え方を、オープンダイアローグに応用してみましょう。オープンダイアローグにとって、治療チームやネットワークのメンバーはシステムの要素ではありません。もちろん観察者でもありません。メンバーはオープンダイアローグ・システムの「環境」です。この環境のもとで、オープンダイアローグ・システムはダイアローグを再生産します。コミュニケーション一般ではなく、ダイアローグを、です。ダイアローグがダイアローグを再生産しつづけるような環境をつくることがメンバー全員に課せられた仕事です。

では「治療」は? そう、もうおわかりの通り、治療はオープンダイアローグというシステムの"廃棄物"として生成するのです。

オープンダイアローグをオートポイエーシスとしてとらえるメリットはいくつかあります。まず第一に「治療」そのものではなく「対話」をつないでいくことが目標である意味がはっきりします。メンバーは単に環境にすぎないと考えることで、システムそのものを「診断」したり「介入」したりするわけではないことの意義もはっきりします。「入力も出力もない」以上、そもそも作動に介入することは不可能なのですから。

p.56

実際の事例として、金物屋に勤めていた人が賃金を払われなくてボスとクリスマスのプレゼントを待っている家族との間で、進退きわまってしまい、偶然おきた停電もあいまって、「すべては自分に対する陰謀である」と認識するに至ってしまった経緯が対話によってときほぐされるプロセスが取り上げられます。

この事例では、たった一回のミーティングで症状は消えて、再発もしていないと言います。専門家チームは、妄想が始まったきっかけをゆっくりと聞きだし、そのときの本人の感情を尋ねます。そしてリフレクティングを通じて、彼自身の人となりや、ボスに対しても忖度してしまうような性格であるのではといったような解釈を本人の前ではなし、そして最後に、感想を本人に尋ねます。

つらい体験こそ宝である

経験的には、ミーティングにおいてともに切り抜けた体験が深刻なものであるほど、より望ましい結果が得られるようです。

・・・確実に言えることは、つらい感情を危険物扱いするのではなく、その場の自由な感情の流れのなかに解放したときにこそ、こわばって縮こまっていたモノローグがダイアローグへと変化を遂げる、ということです。

p.166-167 

 不確実性への耐性。

オープンダイアローグを支える理論には、「詩学 poetics」と「ミクロポリティクス micropolitics」がある。詩学には3つの原則があり、「不確実性への耐性」「対話主義」「社会ネットワークとポリフォニー」がある。

訳注・・・「あなたはまだ本当にお若い。すべての物事のはじまる以前にいらっしゃるのですから、私はできるだけあなたにお願いしておきたいのです、あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐を持たれることを。そうして問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書かれた書物のように、愛されることを。今すぐ答えを渡さないで下さい。あなたはまだそれを自ら生きておいでにならないのだから、今与えられることはないのです。すべてを生きるということこそ、しかし大切なことなのです。今あなたは"問いを生きて"下さい。そうすればおそらくあなたは次第に、それと気づくことなく、ある遥かな日に、答えの中へ生きて行かれることになりましょう。」ライナー・マリア・リルケ著、高安国世訳『若き詩人への手紙・若き女性への手紙』新潮文庫、30-31頁

p.95