立憲民主党の経済政策は完ぺきに正しい

立憲民主党の経済政策は、1・賃金を引き上げること、2・賃金の低い保育士や介護職の賃金を引き上げること、3・正社員雇用の増加支援(非正規社員の減少)、4・教育費の支援、5・高所得者への課税強化が柱になっている。

つまり、所得を上げるために制度で規制をかけ、給与の低い職業に現金をばらまくことで他産業の賃金を間接的に上げ、非正規社員を減少させることでアルバイトなどの低給与な雇用を難しくすることで賃金水準を上げ、家計の教育費の支払いを下げることで消費可能な額を増やし、高額所得者に課税することで中間層に還元し、ということをやるということで、これらをもって低い水準の賃金にとどまっている人を中間層に引き上げることにフォーカスしている。

これがなぜ正しいのか、まさにこれこそがデフレ期のニューディール的な政策の処方箋そのものの姿だからだ。さらにこの時点で増税しないという判断も完ぺきだ。もし、立憲民主党が勝てなくても、新しい与党はこの政策に乗っかって全て採用するべきだ。

  1. 1

    長時間労働の規制、最低賃金の引き上げ、
    同一価値労働同一賃金の実現

  2. 2

    保育士・幼稚園教諭、介護職員等の待遇改善・給与引き上げ、
    診療報酬・介護報酬の引き上げ、医療・介護の自己負担の軽減

  3. 3

    正社員の雇用を増やす企業への支援、赤字中小企業・小規模
    零細事業者に対する社会保険料負担の減免

  4. 4

    児童手当・高校等授業料無償化ともに所得制限の廃止、
    大学授業料の減免、奨学金の拡充

  5. 5

    所得税相続税、金融課税をはじめ、再分配機能の強化

さて、なぜこれを採用すると良いのか。

大恐慌のニューディーラーたちの対策の実態は意外なことに大規模公共事業は主体でなくて、小さな仕事を作り出す救済事業が主体だったからだ(この辺りは以下の本に詳しい)。ともかく彼らが考えたのは何でも良いから日々の現金が給付される仕事を大量につくること。そうすれば労働者が現金を使ってインフレ傾向に戻るので良いだろうと、現金がたんすに溜まってしまうのであれば、それを上回るスピードで仕事と現金を提供すれば良いと考えた。

しかも、大切にしていたのはたぶん「労働をしているという誇り」で、単純に全員に均等にお金を配布するようなことはしていない。そこが希望の党が言っているようなベーシックインカムとも違う。(しかも、これはケインズ主義とも違っていて公共事業を増やしたら景気が回復するという現代のモデルは、後から作られた議論でしかない。この時代のケインズニューディールを推進したローズヴェルト大統領とまったく話がかみあっていない。)

大規模公共事業もゆくゆくの回復には効いていたかもしれないが即効性があるのは現金を仕事を通じて配りまくることだった。日本は、まだデフレ脱却に成功しているわけではないし、金融緩和を通じてお金が注ぎ込まれたのは株式市場と不動産市場だけだ。

デフレになる主要因である労働者の「実質所得」に直接効く政策を打っていないから、実感のある景気回復につながらない。こんな当たり前の話が、経済学のこれまでの議論によって当たり前でなくなっている。

そして、経営者から見ても、労働者にたいして実質的に支払うお金は減っていくのだから経営努力をするよりは、そのまま労働者の数を維持して売上を下げない方法を考えれば利益だけが増えていくので、何か投資をしたりイノベーションを起こしたりしたいとは思わない。

これを解決するためには、かつてのニューディール政策のように、小さな仕事を通じて国民にお金を配りまくることが望ましいし、それをきちんと政策化できたのは立憲民主党だけだ。だから、絶対に立憲民主党が政権をとった方が良い。

また別の側面から言うと国全体の富をバランスシートで表現したときに、デフレになっている国は現金の比率が低くて、ほとんどの富が、何かに投資された資本になってしまっている。これはアメリカでもイギリスでも日本でも共通した現象だ。

国全体の現金の量を増やそうとしても、この状態で金融緩和しても、不動産や株式にどんどん変えられてしまい、時価総額が上がっていくだけで現金のまま保存されない。

このジレンマを解消することが難しいのが、デフレ経済の根幹にあるメカニズムだ。

f:id:oror:20160922123958p:plain

、「良いデフレ」が起きるように政策を誘導する。

 景気後退を防ぐための公共支出は削減しない。固定資産を増やす「公共事業」ではなくて現金給付を増やすサービス業(介護・保育等)に十分に支出する。現金を保有したい層に向けてお金の流れを確立すれば必ずバランスシートはデフレ/インフレに対して中立な地点に到達する。その時点でも現金欲求が人々の間で強いようなら、さらにそれを妨げない。そのまま現金が積みあがると、インフレ型バランスシートになってインフレ脆弱性は高まるが、デフレに対してはプラスのバランスシートになる、現金が積まれるほどにデフレによる利得は高まる。自己資本はデフレが進むとどんどん増加する。だから人々の間で現金保有はプラスになり、現金が減少するという懸念が十分に払拭されれば支出も増え生産活動も増加する。

oror.hatenadiary.jp

そのために、現金を支給する機会をともかく低所得な人にどんどん提供することでお金を循環させること、そして課税を通じて企業や富裕層の株式・不動産資産を現金に変換するか、(海外に売却すること)によってバランスシートをゆっくりと改善することができる。

この過程で、ハイパーインフレになる閾値がどこにあるか、急激なインフレを起こすような経済政策をとらないように慎重に理論化することが必要になる。

特に、ハイパーインフレの要因になるのが、資本を過剰に国有化したり、他国に割譲するなどのショックをバランスシートに与えて、結果、現金比率が突然に高まりすぎることだ。こういう政策が危険であることは歴史の事例からも明らかで、例えば戦間期にドイツがルール地方をフランスに割譲するようなことは本当に良くない。

逆に、こういう事例さえ避ければマイルドインフレに収まる目算はつけられるので、その範囲内で労働者の実質賃金が上がるように政策を打ち続けることが超重要だ。

そして、実質賃金が十分に高まれば経営者が圧倒的に困る。そして生産性の向上のための投資に舵を切り始める。これが日本の将来の成長ドライバーになっていくだろう。だから、この政策をまずとることが今後100年の日本にとってすごく重要だ。よく企業を富ませないと経済が・・・という議論があるが、反対に企業を富ませた国で高度成長を享受している国があったら教えてほしい。

この選挙でうまくいかなくても、次の選挙で必ず近い政策の党が政権につけるよう、全力で応援していきたい。

以下の記事も参考までに。

かつて、ローズベルトがアメリカで実施したニューディールは、本質的に「労働者と消費者の交渉力を上げる」ことが目的だった。だから、低下していた労働組合の組織化率を国が支援して上げたし、賃金を上げることで低下している総需要を上昇させようとしていた。景気の低迷の要因を、明確に「総需要の低下」と見定めていたから、まずは労働者と消費者がお金を持って消費ができるようにしようとしたのだ。

 この理屈が今の日本のリベラルには完全に欠けている。生活の細部はどうでも良いのだ。正社員化率とか、残業が多いからブラックだとか、大企業にすりよっているとか、そういうことではない。「賃金を年々4~5%上げて、十年で1.5倍の賃金に上げていきます。そのために、保育と介護の賃金水準を劇的に上昇させて、それによって他産業の求人を吸収して、有効求人倍率を引き上げ、全体の賃金水準を自然と上昇させます」、というような、パンチのある政策を主張しないとダメだ。そもそも大企業も、このままいけば、順調に消費者の没落を招いて破滅的な収益低下に直面することになる。

 これをしないで、安部政権に対抗できるわけがない。自分の小さな生活の向上を期待しているのが庶民だ。抽象的な攻撃で勝てると思っているのが甘すぎるのだ。

 デモで盛り上がっても、選挙に勝たなければ意味がない。

 まずは、庶民の心に響くことを主張するところからスタートしなおさなければいけない。何か、あまりに腹が立ったから、書いたけど。与党だって本気で景気を回復したいなら、まず賃金を確実に上昇させる政策で選挙を戦わないとダメだと思う。リベラル側が軟弱だから、株価対策だけで勝てるのだ。きちんと、生活を成り立たせるレベルでガンガン賃金を上げるということを公約したリベラル勢力が結集するべきだ。

  ちなみにニューディールの世界観を今知ると衝撃が走る。

 大恐慌はそもそも過小消費が原因で起きたというのがニューディーラー主流の解釈だった。

 この過小消費の原因の一つが、労働者の交渉力が強大な資本にくらべてありにも弱い点だと思われた。そこで政府は労働者の賃金引き上げの方向が望ましいと判断し、労働者の交渉力を強化するためにNIRA第七条(a)項によって団体交渉権などを法的に承認したほか、賃金をコストとしてだけでなく、「購買力」すなわち景気回復に不可欠の要素として評価した。

 労働者の数が減少していく日本にあって、この観点が欠落しているのは、根本的に間違っている。たとえば民進党の支離滅裂な政策集にこういう視点はあるだろうか。まったくない。

 しかも、ニューディールの支出の大半は、大規模公共事業ではなくて失業者を雇用する様々なプロジェクトでしめられた。たとえば、三億点の衣類、五億七千万の学校給食、八千万冊の図書館の本の修繕、1460の保育施設の運営、百五十万人の読み書き教育、家内サービス人の訓練、州WPAガイドの出版など。絵画、彫刻、音楽、演劇、小説などのプロジェクトもあった。

 ローズヴェルトは、連邦政府による大規模な公共投資を梃子にして失業を吸収するタイプの政策にはおよび腰だった。そのイメージとは裏腹に、ニューディールは結果としてTVA(テネシー川流域開発公社)やPWAのような公共事業よりも、PERAやWPAのような救済事業に重点を置いた。

 この視点にならえば、ケインズが主張する公共事業による景気回復が本気で行われたことはなくて、正統派ニューディーラーにとっては、「目先の消費者の所得と自尊心の回復」が大事だったということだ。

 これは、ケインズが考えていた「期待の回復」と同じもので、ケインズの方が有名になり過ぎて教科書が見落としてきた、超根本的な視点だ。

 しかも、最近話題の「ベーシックインカム」的な議論もまったくもって笑止千万であることが分かる。大恐慌期に重要だったのは、「仕事を失った人々の自尊感情の深い傷」をどう癒すかであって、ベーシックインカムでは、そうした傷は癒えないのだ。多くの人にとって、自尊感情はまがりなりにも誰かのために仕事をして対価を得ることで、それをまずは手当しようとしたニユーディーラーの直観の方が正しいと思う。

 教科書的なケイジアンも、自助努力を大切にするアホな与党も必要ない。

 ただ、実質所得を上げれば良い。

oror.hatenadiary.jp