オープンであることがなぜ大事なのか

 オープンイノベーションとよく言われるけれども、オープン=良いこと、という図式は本当なのか。どうして、オープンだと良いのか、ということをよーく考えてみたい。オープンならもれなく良いわけではないと思う。

 本当に大切なのは、オープンであることでもイノベーティブであることでもなくですね、それが何かを解決しているかどうか、です。オープンが大切なのは、それが仕事の現場や生活の現場に繋がるから、なんだと思います。

 例えば、特許権著作権という権利は、発明者や著作者の権利を保護することで彼らの利益を確保し、社会に役立つ発明がたくさん生まれることを促進しようと作られたものでした。

 オープンというのは、そういう動きとは全体としては逆方向にあるわけです。これは普通に考えて不思議です。なぜなんだ。権利が守られないのに発明が増える??

 オープンな場所に集まった人は、権利を放棄していたり、あるいはお金にしづらいプロジェクトに貢献をしたいと考えるはずだし、実際そういう前提が共有されているからオープンソースのソフトウェアなども成立するわけで・・・。あれれ。

 ここで、ちょっと考え方を変えてみます。権利が守られる=発明が増える、は正しいのでしょうか。

 正しくないんです。なぜでしょうか。

 確かに、権利が守られると発明者は守られるんですけど、その発明者が権利を活かして事業を始めるかどうかは、分からないし、その製品が普及するかどうかも分からないのです。そして、実際、特許はたくさんあるけど売れる製品はそれほど出てこない。

 なので!むしろオープンだと。たぶん、ここで「囲い込みが悪いんだ」という意見が出てきたわけなんですね。権利を囲い込むと、たくさんの人が利用できない、むしろ、開かれることで良い製品に結びつきやすくなるのだ。その確率が上がるはずなのだ。

 オープン=良いこと、という理屈には、こんな考え方があるのだと思います。だけど、本当にそうでしょうか。確率が上がる=良い製品が増える、で合ってますか?

 正しくないでしょうね・・・。
 大事なのは、確率ではなくて、「現場の人が触れるか」なんだと思います。
 下記のように高卒の農家が触れるテクノロジーは、近くのお店で買えるパーツの組み合わせで出来ています。

もう一つの例はウインドヘックスである。これは鶏が卵を産むときのように瞬時に研磨し液体の廃棄物を乾かすために、密室内を超音速で流動する圧縮空気を使う装置である。これはカンサス州の高校卒の農家が発明し、いまなお科学者がその作用方式を理解できないでいる。 「経済成長」 

 現場にしか、「困っていること」はないので、すごく当たり前の事として、現場の困っていることを解決したいという動機をもった人がそこにいます。解決をするのは動機を持っている人だけなので、そういう人にテクノロジーや部品や知識やコツが伝わればそれで良いわけです。

 だから、「オープン」であることは、必要な要素のうちの一つでしかありません。
 むしろ、「現場で困っている人」の視点に立って、その人のために超高速でソリューションたり得そうな何かを渡していくために最適な仕組みを作ることが大切で、それはすごーくローコストで出来ている簡単なものであれば、あるほど良いのです。「教育」とかいうことよりも、もっと、簡単にコレを何とかしなきゃ、にすぐに対応するものが必要なんだと思う。

 例えば、マイクロソフトのエクセルとか、Webブラウザとかは、困っている人の日々の解決に直結しているすごい道具だと思う。だけど、エクセルは別にオープンな仕組みだとは思われていない。ソフト代を支払っているし。でも、そのベネフィットがすごいからみんな支払うわけで・・・。

 そういう当たり前に使うしかないと思わせるものが、本当に良いものだと思う。

 というわけで、「オープン」にするなら、現場の人(困っている人)にうまく繋がるかどうかで評価が決まると思うし、そのための「オープン」ならやった方がいいと思う。(けれど、オープンにしてしまったら広がらなくなるのであれば、収益を得て拡大するべきだと思う。最終的に最大の効果を得ることが目的であれば、だけど。)