ネットワーク と アイデア

イデアと技術が大切になっている時代というのは、つまりは、「概念化能力」が大切になっているということを意味している。

しかし、「概念化」は、個的なトレーニングのみで磨くことのできるものではない。
概念化はネットワークの中で生み出される、相互のリフレクションから生み出される。

「概念化」は、人間の脳が起こしている欲望の矛盾、こうしたいけど、できない、を現実のピースにより、解決するための設計情報である。

それをするためには、まずは、人間の脳内で起きていることを外に出さないと、何ができていないのかが分からない。

言葉にしたり、画にしたり、何かにコンバートしてあげないと、これができていないということが特定されない。

そして、もしかして、これができるかもしれないということは、「体験」によってしか知り得ない。

知識は、それらを補完するシステムでしかない。


大切なのは、何ができていないから困っているのか、何をしたら解決するのか、知る仕組みがあることだ。
イデアは、そのリフレクションの間に存在している。
リフレクションは、今のところ人間のネットワークによってしか効率的にもたらされない。
しかも、効果的なリフレクションが得られるネットワークは数少ない。
だから、これを機械化できると大変なことになる。


そして、リフレクションを経て、脳は一定のパターンを物事に見出して、パターンとパターンとを接合することによって解決策としてのアイデアを編み出す。
イデアは再び、人々に伝えられて脳内でパターンによる転換が実施され、感情の一致検査(共感)を行って、それが感情の利益になることが判明すれば、それは脳にとって望ましい企画になる。

いずれ、パターンの一致や転換は機械化されるが、共感を機械が担うまでには時間がかかるのではないだろうか。
いずれは、共感すらも機械が担うことになるのかもしれないけど。