あんまり一言でくくれないものなのかもしれないけど、「年収は住むところで決まる」の理屈だと、生産性の高い企業があって、その周辺でサービス業が伸びる。生産性の高さは知的な能力の高い人がそこにいるかどうかで決まるみたいな感じだ。都市の美的な美しさとかはあんまり関係がない。
一方で、都市空間そのものの心地よさみたいなものが大事なのではないか、という話もある。
Sensuous City[官能都市]【LIFULL HOME'S 総研】
都市の隙間に入り込んでくる面白いことを始める人たちのスモールビジネスのサポートとかも大事だという話もある。
第一段階 衰退・荒廃した地域で、「アーバンパイオニア」が「開拓者精神」をもって新しい何かを始める。著者によれば、このアーバンパイオニアとは、①ぼろ住宅を安く取得し、DIY精神で自分で修繕して、そこを自宅に移り住むタイプ、②廃棄された倉庫や工場を安い賃金で借り、アーティストがそこをスタジオにするタイプ、③空き物件を活用してスモールビジネスを始める起業家型、の3つがあるという。これらのアーバンパイオニアは、補助金などに頼らず、その地域や場の可能性を予感し、「空き」をオモロイと感じる感性を持っている、という。第二段階 このアーバンパイオニアが根付くと、地元のスモールビジネスが相次いで起業する。その中で、トレンドに敏感な若者のに人気のスポットが増える。第三段階 その成功を見定めるように、コンビニやカフェ、ファーストフード店が出店する。この段階で、地元の不動産デベロッパーやチェーン系ビジネスが投資をし始めることにより、地区の改善が進展し、家賃が上がり、貧者が追い出される、という。第四段階 このように賑わいが活気づくと、全国区のデベロッパーや金融資本が舞台に登場し、新築ビルや集合住宅が新設される。
何となく、この隙間が出来て誰かが文句をいわれない環境で「勝手にやる」というのが大事なんではないかという気がしないでもない。
まだ何もまとまってないけど。あと、減築とかも気になる。
上田裕文(2008):ドイツにおける団地再生のとりくみ―ライネフェルデの事例.ランドスケープ研究71-4,365-368. - 撤退の農村計画
どの都市でも、「見捨てられている」という共通項があるような気がする。日本の場合、見捨てられているというほど衰退しているわけではないから、これが難しいという感じがある。
どちらかというと自由になんでもできるけどお金は出さないというような広い工場みたいなところを私有地として持っていて、学生に解放してほうっておくと言うようなことがいいのではと思う。戦後すぐのバラックでできた飲み屋街とかも「焼け跡」という状況がプラスに働いている。
秩序がない、みんなが何かもっと大きな問題に気を取られていて、そこで何かが起きても気にする余裕がない。放棄されている。というのが大事で、何かに庇護されている、インキュベーションされる、みたいな発想がすでにダメなのでは。という直感が出た。
あと、すでに社会資本が形成されていて、大学も複数あって文化もあるみたいな土地は新規採用とか線形的な発展には向いているけど、非線形的な発展には向いてないかも。打ち捨てられたどうでも良い場所であればあるほど、非線形性が爆発するのかも。
貧しいけどスーパー自由みたいな感じだ。ときわ荘プロジェクトっぽいけど、あれでもない。もっとカオスが極まらないといけない。