人生の成果を何におくのか

すごいテーマだけど、人生で何をしたら合格なのかということをいきなり考えた。

仕事の成果なのか、家族なのか、お金なのか、それともなんでもない何かなのか。

結論としては何でもない。何でもないし、何でもありだ。

どうなっても大成功だし、問題ない。

大体のことは、例えば出会いによって解決する種類のこととかは、到達経路の問題でしかない。三次程度のへだたりをどの経路で解決するかだ。そうすると、その最短経路でたどり着かなくても取り組みと経過時間によって、必ずいずれは到達する。

その他の色んな問題も、たぶん同じような経路問題に似ていて、どこに行くかを決めて移動するタイプのことだ。

だから成果として何をおいたとしても、時間が無限にあれば必ず解決し、成功する。

そして、時間内に解決しなかったことがあったとしても、それは偶然でしかない。だから、何かを解決したかどうかと合格かどうかは関係がないかもしれない。

成果に合格基準をおかないとしたら、何か。大体、じゃあプロセスだろうみたいな話になるけど、プロセスも経路問題の通過中に、「どんな気持ちで」取り組むかということなので、それも「気持ち改善プロジェクト」の成功に至る経路問題だ。

人は、どこかの経路を通って、この気持ち問題を解決するか、時間内には解決しないかのどちらかだ。

だから、これも結局のところプロセス問題に見せかけて成果をとる経路問題なので、あんまり変わらない。プロセスって言ったら何か解決すると思ったら違うと思う。

成果にも、気の持ちようにも合格をおかないとしたら、あるいは永遠の未来にある天の炎による浄化の日に合格をおかないとしたら、遥かな過去から全てが合格だったとするしかないかもしれない。

どのような経路を辿っても全てが良くなるか、あるいは間に合わないときがあるだけなのだとしたら、宇宙の終わりに至るまで、結局物事はすべて良いだけだということになるな。終末的な破局がきたらどうするのか、という反論はあるかもしれないけど、それもまた、この経路問題の中での一つの間に合わなかった出来ごとで、その先に新たな人間以外の別の生命体による経路をたどる道があるのだろう、ということになる。ちょっと諦観が過ぎるかもしれないけど。