UX=脳内麻薬ドバドバ論

UXとは何か。脳内麻薬ドバドバ状態をつくることである。という論があってとても分かりやすい。これだ。売れる商品とは、何らかの形で顧客の脳を揺らして気持ちいい状態を作る安めの麻薬である、という分析です。

客が本当に求めているものはこれです。

・砂糖(塩)

・脂肪

・ケミカル

ブルーボトルはこの三要素が圧倒的に不足しているんです。数百円〜千円で手に入るようなものに、素材の味なんて求めていません。バリスタと会話したがるような客は、スナックでママに絡むオッサンと同じです。店員と話したがる客は私生活が不安定で家庭以外に居場所(サードプレイス)を求めているだけです。

 

オシャレなお店で、砂糖(塩)・脂肪・ケミカルを効率的に摂取して脳内麻薬をドバドバ出す。これが顧客満足と書きました。 砂糖や脂肪は直接脳に働きます。感性がどうとか、素材がどうとか、ホスピタリティもサステナビリティも関係ありません。脳を揺らした者が勝ちです。ボクシングと同じです。

「ホスピタリティ」とか「サステナビリティ」を謳う食のビジネスは「情報食品」とも言え、そのもの自体の満足度よりは取り巻く情報、たとえば「西海岸のいつもの味」や「こだわり」とか「カラダに優しい」とか創業からのストーリーなわけですが、そういった情報をありがたがる一部の客は、舌で味わうよりも頭で考えて、店のストーリーの中に自分が含まれていることに満足を感じているのです。そしてその証拠をSNSに投稿するのです。

しかし、それでは効率が悪い。だから流行っている海外ブランドは効率的に脳内麻薬をドバドバ出させる方法を思いついたわけです。しかも同時に承認欲求をも満たす方法を。おしゃれカフェが流行るには承認欲求と脳内麻薬がキーワードです。オシャレなお店でインスタ映えする写真を投稿し、脳の中は脳内麻薬でジュルジュルになっている、その多幸感こそが継続性を実現させているのです。客が欲しがっているのは安価で手に入る麻薬なのです。

blog.hideshima.net

おしゃれなカフェだけでなく、言論も脳内を刺激するソフトドラッグとしての機能を果たしています。というか、ソフトドラッグじゃないサービスや製品がこれまでにあったのだろうか。

いま私が問題意識として考えているのが「麻薬としての言論」です。「言論」にコミットすることによって、かえって社会認識が狭くなってしまう。ツイッター言論などは、ブロック機能などを使って自分でタイムラインを加工できる分、自分に都合のいい言論ばかりが流れるようになるという批判がされることがあるんですけど、それはツイッターの機能に帰されるものではなく、むしろ「言論」全体がそういう役割を果たすようになっているのではないかと思っています。

gendai.ismedia.jp

上記の記事にもあるように、今は保守とか右翼というものが、脳内麻薬ドバドバ的な機能を果たしていて、「西海外の味が分かる」差別化と同じように、「日本のあるべき姿が分かる」みたいなストーリーとして機能しているらしい。

東条英機のひ孫と同じように、同会で学んだノウハウで独立し、「保守ビジネス」を起業した男性2人に取材した。話を総合すると——。
「セミナー屋だね。会費3000円で1回25人も集まれば成り立つ。あとはネット塾。私は月1000円で約1400人に歴史や時事問題で面白い言論を配信している。毎月定期的に140万円。売れっ子のKさんは月5000円、Mさんは月3000円で常時1000人以上。やめられないよ。運動なんかしない、商売だもの。自己啓発とか異業種交流とか似たモデルは他にもあった。1990年代末から保守が売り物として成立するようになった 

基本的には、達成指標として「陶酔感」を達成することが大事で、陶酔感を達成するためには、麻薬+自分が他と比較して最強であるか、最強なものの一部であると感じることが大事だ。

この最強感覚は、結局のところ比較でしか達成されない。比較をしなければ幸せになれるのだけど、それは結構難しい。比較をしていない自分が最強だ、という比較感を自分の中に強く持たないといけない。

だから、何か他と違う感を商品に出したいときは、最強なものに迫っていくストーリーをどう作っていくのかとして考えるのが良いと思った。

  1. 何かとは全然違うから最強
  2. それとも比較をすることもできない自ずからの最強であるのか
  3. これと組み合わせるソフトドラッグ的な体験をきちんとつくる

自分が最強な何かに近づいていく感じ、この進んでいくプロセスを可視化して、現状の悲惨な感じから脱出できるストーリーとして自分を主人公として認識できるようにすること。

そして、このストーリーの中で「気づき」として「生まれながらの宿命として」自分が出自として高貴であること、あるいはあらがえない血統として課せられて最強になるべく者として生まれおちたのであると分かる、電撃のような瞬間があれば最高で。たぶん、ほぼどのストーリーのモチーフは宮廷的なもの、高貴な生まれだけど今は一般人、的なものに帰結していると思う。

その時に、たぶん行動としては人は「泣く」し、感情としては「感動する」「陶酔する」「召命をうける」感じがある。ここで仕掛けとして何かケミカルな要素とか、香りの演出とか、アルコールを飲みながらのイベントとか、なんでも良いのだけど脳を刺激する状態を入れるのが一番良い。

こういうことを小さいドラマに落とし込んで、商品やサービスと顧客の接点に埋め込む。それぞれの小さなドラマが顧客毎にイベント毎に発生することで、最終的には意思決定を変えることになる。

だから、新しいものは、こういうドラマの作りやすさから多くの人の支持を集める、新しいものは価値が定まっていないので、価値は無限大で自分の使命感を自由に投影できる。成功している人も失敗している人もいないので、自分が選ばれた者であると思う自由がそこにはある。新しいものを買っている人は、無条件に買っていない人との違いを手に入れることができる。新しい仕事をしている人も、そうだ。古いものをもっている人や古い仕事をしている人に対して自分は違う、と思うことができる。

そこに本質的な価値の違いがあるかどうかは関係がない。

人は自分が、最強に近づいている証が常に欲しいので、それがここにあると言うことが常に基本的なメッセージになる。