人口が減っても全然困らないかも知れない 「ゴールド ― 金と人間の文明史」

 日本の人口が減ると、多くの議論だとこのままではダメだということになる。本当だろうか? 保育園は増やした方がいいと思うけど、国民の頭数を揃えないとマズイよね、みたいなことは本当はどうでも良いのではないか。

 もちろん、人口減少すると"国全体の"経済成長には良くない、恐らく国債を返すか返さないかで大揉めするだろう、でもそれで最終的に困るのは誰なのか、ということだ。ベースの生活水準はどうなるのかが大事なことだ。土地の生産力は変わらなくて、教育水準や技術力も同じであれば、個人や家庭としての国民自身はそれほど困らない可能性がある。もちろん、デフォルトした政府の後始末はあるだろうが・・・。もし仮に、政府債がデフォルトしても人々の生活が破綻するわけではない。ベースの生産力が突然減るわけではないから。そして、本当に人口が激減した前例がある。

 かつてヨーロッパで全人口の1/3~2/3が死んでしまったことがある。14世紀に猛威をふるったペストのせいだ。人口が激減したことで一人当たりの資産はすごい増えた。だからみんな暮らしが楽になってしまったのだ。食料事情も改善し、生き延びた人たちは仕事よりも楽しみに時間を遣うことができるようになった。

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 階級に関わりない平等な大量死は同時代人に絶望だけでなく、葡萄酒とパーティの享楽をもたらした。その辺りのことは、「ゴールド ― 金と人間の文明史」に詳しい。

 人口が減って農民にとって良かったのは、交渉力が高まったことだ。雇い主である地主や貴族たちは、働き手がいなくなると困る。だから、賃金が高くなったし農民の地位も高まったのだ。現代で言えば、非正規雇用のパートでも高賃金が要求できるようになるのだ。これって良いことなのではないのだろうか?

 農村人口の激減はかえって封建領主に対する農民の地位を高めることとなった。たとえば、イギリスでは労働者の不足に対処するため、国王エドワード3世が1349年にペスト流行以前の賃金を固定することなどを勅令で定めている。それ以外にも、領主は地代を軽減したり、農民保有地の売買を認めるなど、農民の待遇改善に努力するようになった。

感染症の歴史 - Wikipedia

  かつて、マルサスがいた18世紀の社会では、人口が少ない方が一人当たりの富が多いことは常識だった。この考え方は18世紀以前まではずっと変わらない残酷で過酷な現実だった。人間が食料を技術革新で増産すると、それに見合って人口が増えてしまう。だから、いつまで経っても人類はかつかつの喰うやくわずの生活で、ちょっとした気候変動で大飢饉が発生して、そのせいで戦争が起きてという負のスパイラルが止まらない。この現実に対してどんなイノベーションも勝てなかった。イノベーションそのものが、人口増加を生むという、まさに呪いが続いたのだ。人口が増えることが良いことだ、なんて観点は一切ない。

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 幾何級数的に増加する人口と算術級数的に増加する食糧の差により人口過剰、すなわち貧困が発生する。これは必然であり、社会制度の改良では回避され得ない、とする見方(「マルサスの罠」)を提唱した。

トマス・ロバート・マルサス - Wikipedia

 ところが、マルサスが悲劇の法則を発見したその瞬間、実は人類は空前の人口増加と経済成長が両立する時代を体験しつつあって、マルサスの理論は完全に覆されてしまった。結局、社会科学における変数は、何が決定的な役割を果たすのか、分らないので予測をしても無駄なところがある。今では、人口増加はイコール消費者の増加であって、市場の拡大を意味している。

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国連人口基金東京事務所|資料・統計

 だけど、日本の人口減少にともなって、明らかに有利になる予測可能な数字もある。例えば「食料自給率」だ。

 2013年の日本の人口は、1億2730万人、食料自給率はカロリーベースで39%、生産額ベースで、64%だ。2060年の推計人口は、8674万人になる。食料生産が現在と同じだったとすると、食料自給率はカロリーベースで64%、生産額ベースで、94%だ。*1

 これは、単位あたりの土地の生産性は変らないけれど、一人当たりの食料生産量が単純に考えて、+64%増加することを意味している。つまり、一人当たりの生産量が1年当たりでは、1.36%上昇することになる。(1年当たりに、単純に割り算しているのでもっと正確に計算した方が良いと思うけど)

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 あくまでもこれは仮定の計算でしかない。実際には生産に従事する労働者の数は足りるのか、とか、耕作放棄地はどうなる、とか色々あるだろう。それでも、食料生産だけでなく、その他の生産手段のことも考えると一人当たりの生産量は、飛躍的に向上すると予測するのが正しいのではないか。途中で政府はデフォルトしているかもしれないけど。

 一つの理由は、生産性をどう考えるかというところにある。

 前に生産性の定義の難しさについて書いたことがあるけれども、基本的には技術革新は、労働者の賃金が高い方が進みやすいと考えた。だから、それが正しければ人口が減ると労働賃金が上昇し、労働者の地位も向上するし、その圧力によって生産性革命を資本家が起こしたくなって、生産性が上昇する。

 資本があまり蓄積されていない状況では、食べていくためには自分で働くしかない。資本がたくさんあれば、他の国から買ってきて組み立てられる商品も、最初のうちは、自前で作って工夫して納品するしかない。そうすると、「労働」がとても貴重なものになる。資本が少ない世界では、資本を生み出すのは「人」でしかない。だから、労働者の賃金が上昇する。みんなどうしても人を雇いたい、だけど、資本が十分に蓄積されるまでは、みんなが人を欲しがるので賃金がなかなか下がらない。そうすると、資本家としては、人を雇う以外の工夫が必要だという結論に達する。

oror.hatenadiary.jp

  この「資本家としては、人を雇う以外の工夫が必要だという結論に達する。」という状況が、生産性に投資して、生産性が上昇し始めるために必要な条件なのだ。今の日本には、生産性を上昇させるトリガーが全くない。だから上昇しない。だけど、人口が減少すれば、このトリガーが起動し始める。賃金が上昇し、資本家や企業が持っている「資本」が労働力に対して相対的に減価し始める必要がある。

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 興味深いのは、人口の増加が急速であれば、生産量を飛躍的に伸ばす必要があるので、やっぱり労働力が必要なのだけど、急速に減っても労働力が必要かも知れないところだ。問題なのは、「労働供給のボラティリティ」なのかも知れない・・・。なだらかに人口減少を押しとどめてしまうと、このプロセスが起動せずに、生産性も低いわ、一人当たりの生産量も下がるわで、最も良くない結果になるかも知れない。

 この考え方を押し進めていくと、我々が体験しているのは「資本財」が人口の変化率の高さに弱いということで、つまり資本財の価格は、人口または、労働供給量(人以外も含む)の変化率の高さに対してかなり従属的に応答していることになる。いかなる資本でも労働力との結合がなければ価値を生まないので考えていけば当たり前なのかもしれないけど、労働供給量が安定すると、資本財は優位になって高止まりするのだけど、変化が激しくなると下がっていくのかも。そういう意味では、労働者が権利を主張するのは大局的には経済的合理性があると言える。 

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