学習効果の背景となる社会の普遍的な構造について

学習効果における「態度」の変容を考える際に、実際に社会で採用されている規範や、原理の源と、その構造を振り返っておく必要があると考えられる。
図示しているのは、人が行動選択を迫られる場面を極端に単純化して描いたものである。

一番下の階層では、「資源の有限性」と、「DNAに規定された生存可能性の拡大」がある。すべての資源が有限であり、個体の生命も現時点では有限である。このレイヤーでの双方の葛藤が物事の方向づけを決定している。
資源の有限性を解決するために、考案された配分のルールや、道徳がその上位の階層として存在している。社会が採用するルールは、社会が保有する技術や、資源の量や、それまでの慣習によって異なるものになる。しかし、どのような制度であれ、資源の配分を決めるためにの根拠として存在していることに違いはない。

個人は、配分の原理と道徳として定められているルールを学習することによって、自分自身を、現在の状況にあわせて最適化することができるようになる。最適化の度合いに応じて、あるいは、最適化の装いの度合いに応じて、個人は資源の配分を受けるようになる。

この個人が、自身の能力を社会に還元し、社会からも還元されている状態では、個人は、配分の原理と自分との距離感を理解しており、自分にできることと、自分にできないことを理解し、不足しているものを得る術を心得ている、とみなすことができる。あるいは、そうのような人がいると想定されることが多い。

このことを、処世訓(術)として整理し、知恵として継承しようとするのが、処世訓(術)と呼ばれているものである。
その現代における達成の一つとして考えられるのが、「マズローの欲求5段階説」だと言える。
普遍的な欲求の段階を語るというよりは、「分業化された現代」における最適化行動を整理し、最適化された人が得る心の平安を具体的に描くことによって、処世術の継承という努力の近年で最も成功を収めている概念だといえる。

構造的に埋めることのできない配分の偏りがある場合には、最も良い戦略は「諦める」ということであり、あるいは、「永遠の未来への先送り」である。

資源が増加すれば、この葛藤は一時的に緩和されていくが、DNAに変更がない限りは、この構造は変化しない。したがって資本主義の存続如何にかかわらず、資源の拡大は継続する傾向にあり、それに伴って新しい配分の原理や道徳が生み出されていくのではないだろうか。

ここから「態度」の変容への知的なアプローチを引き出すとすれば、「資源配分の原理(市場原理/道徳原理/市場以外の原理)」「個的な欲求」について、学ぶこと、そして、そこから、自分自身の戦略的な対処を、どう組み立てていくのかであると考えられるだろう。

現状を批判的に振り返るならば、例えば「キャリア教育」が下敷きにしている自己実現的な概念がどの程度に正しいのか、ということも、検証できるかもしれない。「自己実現」できるかどうかは、自分自身ではなく、その時点での資源配分の文脈の理解と、その原理の利用の巧みさにかかっているからだ。