時価総額/GDP比の現在値 2019年6月末時点

前回に引き続き、時価総額/GDP比の現在値(6月末時点数値)を調べてみます。これの投稿を全然一年半くらいしていなかった・・・。そして、気づいたら日本の数値だけ低下していて、あれ、これもうちょっと下げたら反騰ありそうじゃないですか・・・。

日本 87%(2014年4月末) → 92.5%(2014年9月末) → 112%(2015年2月末) → 111%(2015年3月末) → 112%(2015年10月末) → 104%(2016年5月末) → 115%(2017年1月末) → 113%(2017年6月末) → 123%(2018年4月末) → 108.5%(2019年6月末)  

時価総額の参照数値が一部のみから一部二部その他合算に変更

アメリカ 102%(2014年4月末) → 106%(2014年9月末) → 108%(2015年2月末) → 107%(2015年3月末) → 107%(2015年10月末) →  102%(2016年5月末) → 114%(2017年1月末) → 117%(2017年6月末) → 121%(2018年4月末) → 125.5%(2019年6月末) 

・計算式  時価総額÷名目GDP時価総額/名目GDP

 (過去から100%〜120%程度が高値圏と考えられる。バブル期の%の推移については、GDP/時価総額比率 1989年でGDP比率145.5%を参照。)

 ※参考データ

ここから想定される日経平均株価の高値のレンジは、ざっくり

 17,919円(108%) 〜 21,300円(128%)

 以上です。

グラフはこちら。

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嫌いなものを見つけたぞ

たいして嫌いなものないな、と思っていたが、すごい嫌いなものがあることに気づいた。facebookの誕生日おめでとうコメントを書かれること、これが本当に大嫌いなので、結構前に誕生日を非公開にしたのだった。

というか、みんなよくあれに耐えられるな。大して連絡もない知人から大量に浴びせられるおめでとうコメントにいちいちいいねとか押している時間が苦痛すぎる。

というどうでもよすぎることを思い出すのが夏休み。

 

これからの株式投資(2) 

これからの株式投資のことを考えるの続き。

資料を列挙していくページ。

 ・世界の債務残高についての資料 

  世界の民間債務は新興国の企業部門で積みあがっている。特に中国で顕著。太字は私がつけたものです。(内閣府の世界経済の潮流から。- 民間債務の増加がもたらす世界経済のリスクの点検 -)

(金融の国際的伝播の評価)
銀行の海外貸付については、世界金融危機後に減少した後、急激な変動はみられず、安定した推移となっている。このため、銀行部門を通じたリスクの国際的伝播の可能性が世界金融危機後高まっている状況は確認できない。
一方で、企業の銀行借入以外の対外債務である国際債務証券の発行残高は、世界金融危機後、増加を続けている。これは、前述した社債市場の拡大とも整合的である。ここでは国際債務証券の動向について、特に新興国企業を中心に確認してきた。国際債券市場の拡大は、金融市場が未発達な国の企業による金融へのアクセスを向上させる一方で、一国の金融市場の状態や信用リスクが国境を越えて伝播する可能性を高めている。興国企業の国際債務証券の大半はドル建てであるため、急激な自国通貨の下落は、企業の実質的債務負担を増加させるほか、更なる新興国企業の国際債務証券の売りを呼ぶ可能性もある。また、新興国の国際債務証券への主な投資家は少数の大規模な資産運用会社であることから、それらが同じ投資戦略をとった場合、証券の価格変動を増幅させる可能性もある。このため、近年の国際債務証券残高の増加は、国際的伝播の観点から新興国のぜい弱性を高めている可能性がある。さらに、債務者である新興国企業のみならず、債券の保有国においても、急激な為替変動といった外的ショックにより新興国企業の国際債務証券の価値が下落すれば、資産効果を通じて経済に悪影響が及ぶ。また、貸手の貸出行動は、借り手のバランスシートの状況に左右されるため、国際債務証券の価格下落に伴う実質的な債務負担増加による借り手企業のバランスシートの悪化は、貸手の貸出行動を抑制し、企業による設備投資等の減少につながる。これにより、更に保有資産の価格が下落した場合、企業のバランスシートは一層悪化し、実体経済の変動が増幅されることにもなる。

https://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sh18-01/pdf/s1-18-1-2.pdf

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 ・バフェット指数とか株価とGDPGDP比率のデータ。株価は高いと言われているが。

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https://media.rakuten-sec.net/articles/-/22748?page=4

 

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 ・中国企業社債発行は、国内キャリートレードに使われている

http://fis.nri.co.jp/ja-JP/knowledge/commentary/2018/20180601.html


中期的には、中国など新興国の通貨が値下がりすることがリスクだが、中央政府が適切に国債発行して、民間債務を吸収すれば事態を先送りできる。日本みたいな解決策だけど。それがうまくいかない場合に、突然通貨が下がってコントロールができなくなるパターンが有り得るかもしれない。ただ、民間債務は積みあがっていないので、不動産市況が下がって連鎖的に銀行が行き詰まるということはない。なので、リスクはかつてほど高くないが、それでもあまり良い状況でないのは確か。

日本円に関して言うと、通貨安のリスクは低くてどちらかというと、通貨高くなるリスクがある。

アメリカが、中国を追い詰めても、通貨安に急になるリスクは、為替操作国認定するという言い方で止められたとも言える。なので、これは結局、米中で為替を一定に保つことにつながるので、中国初のデフォルトの連鎖はないとも言える。つまり通貨ショックはなさそう。

あるとしたら、中国の景気後退が始まることだけど、景気対策を打つことになるから、民間債務の返済が進んでも公的債務が高まればカバーはできる。と、いうことから企業債務の高まりはそんなにはリスクではないかもしれない。ただ、貿易量が低下することによる世界的な景気後退が止められるかというと微妙な可能性はあり、来年か再来年くらいには限界が露呈して、どちらにしろ株価の低迷が始まるということはあるかもしれない。

これからの株式売買

まずは、単純に株を売り始めるのが良いと思った。

現状で現金比率が約30%。これを、50-60%まで高める。異常に安いあるいは合理的に説明がつかない価格差がある場合以外は取引を手控える。

しばらくは、それしかない。現金あるからといって、含み損を解消するためにトルコリラでばくちうつぞーとかそういうことはしない!したくなっているけど、絶対だめだという戒めのためにここに書いておきます。

含み損が気になるからと言って変な動きをしても仕方がない。放っておいて、資産の半分でも生きていれば再建できる。少なくとも五倍になる投資対象はあるので、それで傷口は再生できるのだ、と自分に言い聞かせる場面。セオリーに従うべき!

バフェットは現金比率高めているぞという記事

https://media.rakuten-sec.net/articles/-/22748 

 

2019年中に、現金比率を50-60%にして2020年以降に残りを段階的に売却していく。(戻りをどんどん売っていくので利益が出ていてもいなくても現金比率があがれば良いという考え方。)残りの株式も順当に売却できたら、いったん為替リスクのことを考えるのが良いのではないかと思っているのです。

米国債を買ってみたという記事

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1811/07/news104.html 

 債権買わなくても、まずは通貨を両替するだけなら住信SBIで良いかもしれない。

https://www.netbk.co.jp/contents/lineup/gaika/futsu/kawase/ 

 で、為替リスクを資産の50%くらいでヘッジしたら、それぞれの通貨で買える安いものを探すことにする感じです。

ジリジリと高値圏にいく世界の株価

みんなが崩壊するんじゃないかと怯えるアメリカを中心とする株価。計算してみたらざっくりアメリカのGDP対比率125%くらいだから、もう少し上がっていったら、確かに危険ゾーンかもしれない。

前に、ここで、人民元とか銀とか銅、リンとかの現物が良いのではないか、みたいなことを書いたけど、逆にデフレがひどくなるパターンもあるなとも思い始めた。

理由は、負債が世界のバランスシートで巨大になっている時に、これの返済の巻き戻しが来たら、極端に現金が不足するから、デフレがひどくなる。

賃金の低下と、同時に資源価格だけが上がるという、パターンもあるかもしれないな。このまま、長期的に株価が安定して右肩上がりになるということはほぼないから、必ず資産を「何か」にみんな移動させたくなるはず。でも、その「何か」がよくわからないから、価格の極端な変動が起きそう。

愛着障害

愛着障害について読んでみた。幼児期の親の反応から、三つのタイプの価値観を作り出すのではないかという理論なのかなと思った。

B タイプの養育体験は‘私は受容されるだろう’といった肯定的な意味づけをもつ DR へと統合され,A タイプでは‘私は拒絶されるだろう’,Cタイプでは‘私はいつ見捨てられるかわからない’など否定的な意味づけとなる。脅威に対する即時的な反応では言語化や意識化される前に情報処理が起こるため,過去の養育体験で形成された DRがまず活性化する。

・山下 洋「思春期問題の背景にある愛着障害について」

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjghp/24/3/24_230/_pdf

何か問題が起きた時に、「やっぱり私はだれからも必要とされていないのだな」と思うか、「このままだと見捨てられてしまう!私のことを見てほしい!」と思うか、それとも「まあ、今回はうまくいかなかったけど、次また頑張ろう」と思うか、ということなのでは。

個人的には、常にAタイプで「私は拒絶されるだろう」という謎の確信に満ちているので、困ったなと思った。いつも、最終的には自分は必要のない人なのだということを確証する手がかりを探してしまう…。

 B タイプでは認知・情動的側面の均衡がとれ歪曲の少ない情報処理に基づき,明確な意図と感情を共有する協働的な関係性が築かれる。一方 Aタイプでは,自己の否定的感情を抑圧するなど,自己の欲求や情動的側面は軽視・否認され,養育者が期待する結果など認知的側面のみに注目するため,自己否定と他者の理想化,過度の服従や強迫的な世話役行動に発展しやすい。C タイプでは,認知的側面よりも情動に訴える戦略をとるため,養育者との相互作用は挑発・攻撃的な態度への強制的対応がエスカレートすると一転して助けを求めて無力な懐柔的な態度を示すなど両極端な行動パターンが生じやすい。それぞれの側面が攻撃的,懲罰(報復)的,搾取的か無力,被害者的,誘惑的な対人関係に発展することがある。

明確な意図と感情を共有するのも怖いので、なるべく目的・目標は他人が決めたもので進めていきたいという強い意志がある。常に強い失敗の確信があって、その恐怖に戦慄しながら生きているということに今、気づいた。

なので、人から褒められても全く真意だと思っていないし、むしろ、否定された経験だけをしっかりと記憶していて、それが自分の真の評価だと信じている感覚があるな。何度も何度も自分を否定することを繰り返しているので、その思い込みを解除することは難しい。仕事とかキャリアにおいてうまくいっているイメージが長期的に全くない。短期的に目前のことを何とかする、ということしかない。短期的なことが終わったら、自分の居場所は結局なくなるのだと確信している。

かといって、極端に服従的だったり強迫的だったりはしないので、問題はないのだけど、自分が受け入れられるということはない、という確信は結構困る。現実と自分の予測が乖離しがちで、求められていた仕事が、自分の評価では異様に低いということを繰り返しているような気がする。それで、自分ではすぐに諦めてしまうのだけど、実はそれほど悲観的な状況でもないということがあるのかもしれない。自分では客観視できないのだけど。

子どものころから、友人たちの中で自分がいない方が良いのではないか、という思い込みが強くあって親からそんなことはないと言われたけど、その理由が見いだせなかった。今も、ずっと、どこに行ってもこの人間関係の中で、自分の居場所は本当にはない、という思い込みがある。いつか消えるものなのだという謎の確信。

自分の家庭ができてからは、その居場所はなくならそうだな、と思うのだけど、仕事とか友人関係に対しては、消えてしまうもので、きっとなくなるし、働きかけるのも迷惑なんじゃないかと思ってしまう。自分がいない方がうまく回るのだから、という感じ。

自分が姿を隠せば万事うまくいくという感じはよくわからない。論理的な感じもしない。ともかく、いることが居心地が決定的に悪い…。

何か、自分が進めているという感じも持たず、自分の亡霊が自分の代わりにさまよって仕事をしたり話したりしてくれている、コピーロボット願望みたいなものがあるのかもしれない。本当はその場にいないんだと思うことで、その場をしのいでいる感じ。

それほど深刻なものではないのだけど、時々これで良いのか…という疑問が少しだけある、何より自分の身の回りの人に対して、向き合うことができにくい。これが一番困っていることなのだと思う。ちょっと苦手な感じのする人と話すのがすごく難しいとか、が時々あって、これが、結構自分がいない方がこの場は安全なのに、なぜ私がいるのかという感覚につながっている。否定的な言葉とかに異様に傷ついて、「やっぱり自分はここにいてはいけないのだな」となってしまう…。困るなあ…。

 

 ・うまくいかない > 自分はいてはいけない

 

というのはつながっていないのだけど、自分の中で強くつながっている。

もう少しつながりを検証すると

 

 ・お祭りでもらった金魚を「自分だけ」落としてしまう > 友達に迷惑をかける、他の人と同じ行動がとれない > 同じ行動がとれる人だけでいた方が良い >  私は不要である

 

というような感じだったと思う。いつも、何か協調行動がとれないことに対する恐怖感があって、協調行動を結果的にとれてないことを強く記憶している感じがある。その場の和が乱されている場合、原因は私にあり、私がいないようにもっていった方が良いという。

この根源は何にあるのかな。

 

苦手なものがあってはいけないし、できないことがあってはいけないし、万が一それが露呈した場合には仲間としては認められない。仲間になることはできない。それはつらいから、何かあったらその関係からは外れないといけない。

みたいな感情があるな。これはつらい。そんな風に思っていたのか。

 

失敗しても構わない。失敗したら、そういうことが起きないように修正していけば良い。失敗や欠点があっても、別に存在そのものは変わらない、ということはあんまり思っていなかった。そういうことを口にすることはあっても、自分に対しては、絶対に許すつもりはなかったということか…。

何か、自分が優秀であるという感じがどこかで心のために必要だったのかも。その優れている感じがあれば、ようやく何かを乗り越えられるというような。それがなんだったのかわからないけど。

意思決定プロセス

内部監査のテキストに書いてあった意思決定のプロセス。ちょっと意外な感じがする。

  1. 現実と期待のギャップの認識
  2. 問題を定義
  3. 受容できるリスクのレベルの評価
  4. 問題の解決策を探し評価する
  5. 解決策を選択
  6. 解決策を実施
  7. 結果を測定

だそうです。

なるほど!

 

内部監査基本テキストより