動機付け

満たされなければならない何かがあるから、動機は形成される。のだけど、それって何なのか。

一定数の人が、定期的に考えていることで、一番動機付けとして強烈なものがあるかとかなのか。何かしらの理想に向かおうとするので、衣・食・住とか仕事とか学びとか宗教とかお金とか趣味とか婚活とかでニーズが出てくる。

これとか、すごい。男の側ではタワーマンションが女子に受けるアイテムだと思っていたけど、実際にはとっかかりのきっかけでしかなくて、女子が見てるのはどちらかというと結婚相手として妥当かどうかみたいなことで、という、双方のもくろみが微妙にずれているところが良い。結果、タワーマンションが供給過剰になって珍しくなくなって、タワマンでホームパーティーやるよーといってもだれも来ないという。

toyokeizai.net

自身が、顧客のことを理解していなくてもなぜだか売れる時があるし、売れなくなったのが、外部環境のせいで、自分のせいでなかったとしても、最初からボタンがかけ違っているのでそれは問題じゃない感じだったりするのが良い。

そもそも、出会いの動機がかけ違っているのだけど、そこが整理されてない曖昧なままでスタートできるのがパーティとかのすごいところだ。もし婚活みたいに明確な目的を持ってたりすると、そもそも重たくて参加できないし、というハードル下げたい心理で双方の折り合いがつくのだけど、その動機はお互いに自分でもよくわかっていない。

そもそもの自分の存在としての不安が動機なので、ふわふわとした定義付けでも行動しないよりはましになる。行動するきっかけと若干の中毒性と、新しいことが起きそうな感じとか、見たことがない要素があるのが大事。

見たことがないものは、なぜか人間の根本を満足させるところがあって、見たことがないものとその作られたものの本質的な欲求に訴えかける要素、タワーマンションだと、それが住居であって、無限の富を蓄えている城のような暗喩というか可能性の扉みたいな感じが連想されるところが良いのだと思う。

これって何なのか、世界の秘密を解き明かすことのできる唯一の「鍵」みたいな感じの連想があるのかもしれない。よくわかんないけど、そういう感じはどこか共同の想像の中にあるので、それを取り出すことなのかもしれない。

すごく科学的にやるのであれば、キリスト教の結婚講座がやってるみたいにお互いの価値観チェックリストをフォームに入力させて、適合度合いを計算するマッチングシステム作ればそれだけで良いような気がする。

でも、動機付けとしては「鍵」を見つけるみたいな、それ以降に弩級の勢いで物事の拡張が進む感じがないので、そういう感じではない。

オフラインイベントとは

 オフラインイベントのメリットは、深さを得られることだけど、AWSの導入とか、新しいまだはやってないアプリのダウンロードとか、立ち上がったばかりの新規事業のメンバーを募るとかにはむいているけど、そういう複雑さとか導入のコストが高いとか、その分ワクワク感があるという感じじゃないとあんまり向かない。

 あと、参加感をどう形成するかという問題もある・・・。

 すでに動機がありそうな知っている人を集めてきて、参加動機の形成を最終的に作るとか、参加を通じてコミットを高めるとか何か設計がある方が良い。

 共通の目標を作って、そのワークグループが機能するように環境をつくることで、中核のワークグループが丸ごとコミットするように持っていくとかが一番良いかもしれない・・・。小さい単位でワークするような仕組みを量産できるかどうか、が、この場合に難しいのかな・・・。

 オンラインでは、見ている人の母集団が増えても、そこからの購入とかエントリーまでが遠すぎるタイプのものだと、かなり難しい。

 かといって、動機がもともとある人を人づてに探していくのも効率が悪い。

 共通の目標を、目標毎のチームとしてたくさん創られていくことは出来ないかをずっと考えているけど、それって一体何かが良く分からない。ちょっと思ったのは、コミニティづくりが好きで自ら主宰してしまうタイプの人と共催することを自動的に増やしていく方法が何かあるのかも知れない。

 もはや、組織ではないのだけど、自由につくりたい人が自由にできる環境だけ作り続けるというようなことなのかもしれない。

 解決するべき課題の下に、普段は全く一緒に何かすることのない人たちが集まってきて、ありとあらゆる手段を尽くして解決しようとする。そのこと自体が面白いので、チーム感ができてくる。という基本形がある。

ビットコインのボラティリティは取引日数によって生み出される要因もあるのかも

ビットコインボラティリティは取引数量の少なさから生まれる要因もあるとは思うけど、他にも取引が年間365日いつでも可能であるということからも出てくるかもしれないと思った。

通常の通貨取引だと土日はお休みなので仮に休日105日だとすると、それだけで年間で40%も取引頻度が違う。

日ごとのボラティリティの高さが要因だけど、それが年間で積み重なると日ごとの大きさが累乗されるので、結構な変動になる。

あと、ビットコインにはサーキットブレーカーとか取引停止の仕組みがないから、それもすごい影響していると思う。

 

 ・サーキットブレーカーがなくて日々の価格変動が自由 → 日数の制約がなくて取引に冷静さを取り戻す方法もない → 変動率の高さが積み重なる

 みたいなことか。

以下は、USD/JPYとの比較。

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www.buybitcoinworldwide.com

自由からの逃走的な行動

自由に行動しているように見えるのに、実は逃走である行動というのがあるかもしれない、というのが難しいというか見えづらい。本当に自発的に行動しているのか、という問題もとても難しい。何かの目標を宣言して行動している人は自発的な人なのか、そうじゃないのか、というとたぶん大体においてはそうでもない。

 

例えば、ビットコインとか仮想通貨って人類の運命変えるかもね、みたいな話で行動している人は自由なように見えるけど、たぶん逃走に分類される。けど、ちゃんと原理とか使い道まで考え抜くとそうじゃないかもしれないみたいなところはある。けど、ほぼ逃走だとは思う。あと、人工知能がただすごいみたいな話も逃走に分類されるけど、ちゃんと原理とか使い道まで考えていくとそうじゃないかもしれない。

その違いは、「シンギラリティ」っぽい話、予定説みたいな話に触れているかどうかだと思う。予定説に入っていくと逃走で、部分的な改善の話をしていればそうじゃないと思う。大体の感じとしては。

あと、自発的な感じというのは難しい。表面的には私はこれをやりたいです、的なことをみんなが言うので・・・。でも、本当はそんなにやりたいことでもないけど、そのことに気付かないようにしているのがあって。

すなわち近代人は自分の欲することを知っているというまぼろしのもとに生きているが、実際には欲すると予想されるものを欲しているにすぎないという真実--を漠然ながら理解できる。このことを認めるためには、ひとが本当になにを欲しているかを知るのは多くのひとの考えるほど容易なことではないこと、それは人間がだれでも解決しなければならないもっとも困難な問題の1つであることを理解することが必要である。しかし、それはレディ・メイドの目標を、あたかも自分の目標と考えることによって、遮二無二避けようとしていることがらである。近代人は「自分のもの」と予想されている目標を達成しようとするとき、大きな危険をもさけようとはしない。しかしかれは、自分自身にたいして自らの目標を危険と責任は、深く恐れてとろうとしない。はげしい活動はしばしばその活動を自分で決定した証拠であると誤解されている。もちろんわれわれは、それが俳優や催眠術にかかった人間の行動と同じように、自発的なものではないことを知っている。劇の一般的な筋がわたされると、各俳優はかれにわりあてられた役割を力強く演ずることができ、自分の縄張や演技の細かな部分は、自力で作りあげることさえできる。しかもなおかれは、かれにわたされた一つの役割を演じているにすぎない。

われわれの願望-そして同じくわれわれの思想や感情-が、どこまでわれわれ自身のものでなくて、外部からもたらされたものであるかを知ることには、特殊な困難がともなう。それは権威と自由という問題と密接につながっている。近代史が経過するうちに、教会の権威は国家の権威に、国家の権威は良心の権威に交替し、現代においては良心の権威は、同調の道具としての、常識や世論という匿名の権威に交替した。われわれはみずから意志する個人であるというまぼろしのもとに生きる自動人形となっている。この幻想によって個人はみずからの不安を意識しないですんでいる。

p.278-279

近代人は表面は満足と楽天主義をよそおっているが、その背後では深い不幸におちいっている。事実かれは絶望のふちにある。かれは個性という観念に絶望的にとりすがろうとしている。すなわちかれは他人と「ことなろう」と願う。

・・・かれは、もし自分が欲し、考え、感ずることを知ることができたならば、自分の意志にしたがって自由に行為したであろう。しかしかれはそれを知らないのである。かれは匿名の権威に協調し、自分のものでない自己をとりいれる。このようなことをすればするほど、かれは無力を感じ、ますます同調するように強いられる。・・・近代人は深い無力感に打ちひしがれている。そしてそのために、かれはあたかも麻痺したように、近づいていくる破局をみつめている。

p.281-282

それでは、どのようにして「自由」であることは可能となるのだろうか。

独立自由 は孤独と恐怖と同じことであろうか。あるいは、個人が独立した自我として存在しながら、しかも孤独ではなく、世界や他人や自然と結びあっているような、積極的な自由の状態があるのだろうか。

・・・積極的な自由は全的統一的なパーソナリティの自発的な行為のうちに存する。

・・・われわれはここで、心理学のもっとも困難な問題の一つである自発性の問題に近づく。・・・自発的な行為は、個人が孤独や無力によって駆り立てられるような強迫的なものではない。またそれは外部から示唆される型を、無批判的に採用する自動人形の行為でもない。

・・・第一に自発的な人は、芸術家。哲学者や科学者も

・・・第二に自発的な人は、子どもたち。かれらは本当に自分のものを感じ、考える能力をもっている。

・・・少なくともある瞬間には、われわれ自身の自発性をみとめることができる。・・・一つの風景を、新鮮に自発的に知覚するとき、ものを考えているうちにある真理がひらめていくるとき、型にはまらないある感覚的な快楽を感じているとき、また他人にたいして愛情が湧きでるとき、-このような瞬間に、われわれはみな、自発的な活動とはどのようなものであるかを知るであろう。

p.283-287

・・・自発的に行動できなかったり、本当に感じたり考えたりすることを表現できなかったり、またその結果、他人や自分自身にたいしてにせの自我をあらわさなければならなかったりすることが、劣等感や弱小感の根源である。気がついていようといまいと、自分自身でないことほど恥ずべきことはなく、自分自身でものを考え、感じ、話すことほど、誇りと幸福をあたえるものはない。

このことはまた、活動そのもの、すなわち過程がたいせつで、結果がたいせつではないことを意味する。われわれの文化にあっては、まさに逆が協調されている。

p.288

あと、人のことを非難したり人格的にどうかみたいなのも、自由に行動しているように見えるけど、そうでもない。

 

なんで自民党支持する人が多いのか 自由からの逃走

なんで自民党の安部政権を支持する人が多いのかというと、自由が強すぎて多くの人が不安だからなんではないか、という記事にエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」が紹介されていたので読み始めたけど、すごいこれ最高。

今を生きる人の本質的な不安と、それを解決するために仕事や名声の獲得に没頭する様を描いている最高の本だった。この根源的な不安から現代において形成されている全ての仕事やサービスや、今日の政治的な権威主義までが説明できるというすごい本だった。まだ途中までしか読んでないけど。必読でした。

――そして小泉さんが登場するわけですね。

 そうして「消極的自由主義」を進め、新自由主義を押し進めていくと、どうなるでしょうか。

 自己責任で自由を与えられていくと、人々はどんどん孤立し、孤独になっていく。そうすると、人は不安になる。その結果、強いリーダーに引かれて権威主義者に飛びついていく。これがナチスで起きたことだと、E・フロムが『自由からの逃走』で指摘しています。自由を与えられたゆえに、人々は自由から逃げて行く、という逆説的現象です。

――――「消極的自由主義」にも「自由のパラドックス」はあるわけですね。

 新自由主義ではこれが起きやすい。全部「自己責任ですよ」と言われると、人は不安になるので、ズバッと言ってくれる、断言してくれる権威主義的パーソナリティに流れやすいんです。リベラルを捨ててパターナリズムに陥ってしまう。橋下現象がその典型ですね。

 

news.yahoo.co.jp

まだ、最初の方しか読んでないけど、いくつか引用すると

個性化の過程のほかの面は、孤独が増大していくことである。・・・子供はその外界から脱け出すにつれて、自分が孤独であること、すべての他人から引き離された存在であることを自覚するようになる。この外界からの分離は、無力と不安との感情を生みだす。

・・・ここに、個性をなげすてて外界に完全に没入し、孤独と無力の感情を克服しようとする衝動が生まれる。・・・それはどうしても服従の性格をおびることになる。しかもそのような服従においては、権威とそれに服従する子どもとのあいだの根本的な矛盾は、けっして除かれない。子どもは、意識的には安定と満足とを感ずるかも分からないが、無意識的には、自分の払っている代価が自分自身の強さと統一性の放棄であることを知っている。・・・服従は子どもの不安を増大し、同時に敵意と反抗とを生みだす。そしてその敵意と反抗は、子どもが依存している-依存するようになった-まさにその人に向けられるので、それだけいっそう恐ろしいものになる。

もう1つ解きがたい矛盾をさける唯一の生産的な方法がある。すなわち人間や自然にたいする自発的な関係である。この種の関係は、全人格の統一と力強さに基づいている(そのもっともはっきりとしたあらわれは愛情と生産的な仕事である)。それゆえそれは自我がどこまで成長するかに左右されるだけである。

p.39-40

宗教改革の時代が、一見する以上に現代の様相に類似していることを示すであろう。・・・十六世紀このかた現代とこれほどまでによく似た時代は恐らく存在しないであろう。・・・人間性の弱さ、個人の無意味さと無力さ、外的な力に隷属しようとする要求・・・個人の無価値、独立できない根本的な無力、服従への要求、これらの考えはまたヒットラーイデオロギーの主要なテーマでもある。

・・・現代と同じように非常に多くの人々が、経済的社会的組織の革命的変化によって、その伝統的な生活様式をおびやかされていた。とくに中産階級が、いまと同じように、独占の力と資本の優越した力によっておびやかされていた。この脅威が個人の孤独と無意味の感情をつよめ、脅威を受けた階級の精神とイデオロギーに、大きく影響したのであった。

p.48

能率という観念がもっとも高い道徳的な価値の1つと考えられるようになった。同時に富と物質的成功を求める欲望が、ひとびとの心をうばう情熱となった。

・・・もはや自然の、疑う余地がないと考えられるような、固定した場所は存在しなくなった。個人は独りぼっちにされた。すべては自らの努力にかかっており、伝統的な地位の安定にかかっているのではない。

p.68

・・・このたえがたい不安の状態や、自己の無意味さについての委縮した感情から、逃れることのできるただ一つの道は、カルヴィニズムできわめて優勢となったまさにその特性だけである。すなわち熱狂的な活動となにかをしようという衝動の発達である。このような意味の活動は強迫的な性質をおびてくる。個人は疑いと無力さの感情を克服するために、活動しなければならない。このような努力や活動は、内面的な強さや自信から生まれてくるものではない。それは不安からの死に物狂いの逃避である。

p.99

働きすぎるというのは、不安からきているものでしかないのだな。

 

 

アメリカ株がバブルじゃないというけれど

アメリカ株はバブルじゃないと色んな指標でみんなが言うけれど、そして、バフェットですらもそうじゃないと言うけれど。もともとバフェットが示していた指標では割高だ。バフェットも無視し始めているけど・・・。だけど、いつのバブルでも「割高ではない理由」が声高に語られ始めるのが世の常で、後で見たらその「割高ではない理由」は結構無理やりだったよね、ということになることが多い。

PERで見てみたり、PERを金利水準で割ってみたりしても、GDPという経済そのものの大きさと、PERが立脚している利益の水準は、そもそも振れ幅が全然違う。金利もそうで、GDPボラティリティが全然違うもの、しかも、負債の水準でいかようにでも嵩上げできるものを比較するのは、筋の悪い議論のはずだ・・・。まあ、アメリカ株持ってないから、どちらでも良いのだけど、崩壊したら巻き添えくらうからいやだなあ・・・。

shikiho.jp

図表1:S&P500指数と予想PERの推移(過去25年間)

(出所:Bloombergのデータより楽天証券経済研究所作成(2017年3月9日))

図表2:S&P500指数、米長期金利金利調整後PER(過去25年間)

(注:金利調整後PER(株価収益率)=S&P500指数ベースの予想PER×米長期金利(10年国債利回り))
(出所:Bloombergのデータをもとに楽天証券経済研究所作成(2017年3月8日))

member.rakuten-sec.co.jp

 

そこそこ人気が出る記事を書くための、トレンドキーワードと人気のないキーワードの組み合わせ

最近発見した、そこそこ人気が出るブログとか記事の書き方をここに公開することにした。

人気があるキーワード×誰も狙っていないけど実は検索されてるキーワード=誰も書いていないから、そこそこ読まれる記事になる

と、いう普通のことで、すいません。これをやると、その検索結果では他に読める記事がないのでとっても小さい独占市場が作れる。

例えば、最近アクセスがこのブログにしては伸びたのは、以下の記事でした。

oror.hatenadiary.jp

この記事は「立憲民主党」と「経済政策」という、「検索されているキーワード」と、全然記事を書く気が起きないけど、「そこそこ検索されるキーワード」で出来ていまして、書く前にGoogleで一瞬検索して、この記事と同じ方向性で書き込まれているものがないのを確認して、怒涛の勢いで書いて投稿したものです。

そうすると、選挙前に少し伸びる。でも、選挙後は全然読まれない。

やり方としては、何か書きたいことがある時にそのテーマをキーワードにして、google検索してみて、良い記事がないかどうかを確認するだけです。

あと、以下の記事は、「統計検定」という検索されるキーワードと、「3級」と誰も書こうとも思わないけど意外と検索されるキーワードを組み合わせることによって、毎度試験前後になると上昇するのです。後、「統計検定3級」「合格ライン」という、試験後によく検索されるキーワードも組み合わせてます。

これをやった時も、「統計検定」「3級」で記事がないことを確認しています。

oror.hatenadiary.jp

考えてみれば、そういうことを考えて構成している時はちゃんと読まれる記事になっているんだから、いつもそうすれば、すごい良いんじゃないかと思うけど、そんなこと考えるのも面倒くさいですよね・・・。思ったことをそのままだらだらと書きたいじゃないですか。

なので、今回は何も考えずに書きました。

でも、本当はこの記事もトレンド記事回りのノウハウワードを調べて、この内容に合致しそうな人気のないキーワードを見つけて書きこむと良いと思う。気が向いたら改修するかも。しないかも。