ほぼ日上場で思い出した本「日常に侵入する自己啓発」 ほぼ日手帳は新しい自己啓発じゃねという本

 ほぼ日上場で思い出したのが、2015年に一番興奮した本「日常に侵入する自己啓発」(牧野智知)という本だった。なぜかというと、この本の中で「ほぼ日手帳」を従来の手帳があまりにも「自己啓発」のために使われ過ぎていたことへのカウンターとして構想されたと指摘していたから。夢へのスケジュール手帳から、もっと自由な手帳を目指したい、でもその「ほぼ日手帳」の試みも最終的にはもっと精密な自己コントロールを目指した新しい自己啓発になっているのではないか、ということも書いてある本でした。

 今や売上30億円超だから、こういう社会学系分析も実は、深層心理マーケティング分析になっているような気がして、ほぼ日関係の記述を中心に紹介します。

 さて、この本での「ほぼ日手帳」分析は、以下のような自己啓発のカウンターとして構想されながらも、結局、管理された「自由」によって自分を何かに構成していこうとするもの。より精密で権力のように全然見えないのだけど、権力のような何かなのでは、という指摘になっています。

 「ほぼ日手帳」とは何か。2005年に刊行されたガイドブックの糸井重里の語るコンセプト。

「なんでもない日、おめでとう

ただの一日も、なんにもなかった一日も、二度とこない、かけがえのない一日。一年三六五日、三六五の特別な一日。(中略)なにを書いても、書かなくても、なんでもない一日を特別な一日にする。自分が主人公になる手帳。それが、ほぼ日手帳です。」 (p.195)

 この「自分が主人公」になるというのが重要で、これは、つまり、糸井重里は新しい「自己啓発」なんでもない日おめでとう、を創設したのではないか、ということでもある。*1

ほぼ日手帳」は先回りして設計された「自由」によって構成されている・・・自由に楽しく、かけがえのない今ここを大事にし、名づけようのない時間に網を張ろうとする手帳(術)こそ、より細密な水準で、人々の時間感覚に影響を与えるものだと考えられないだろうか。(P.198-200)

 つまり、「かけがえのない私」の特別なストーリーを、手帳という網によって、より確実に完全にすくいとろうとする。自分らしさを知ることが幸せな人生をつかむことの唯一のカギだからだ。

 その例証として、以下のような糸井の発言が引用されています。

「人が、ひとりでいるときには、もっとこう、ぼんやりとした、なんでもない、名前もつかないような時間があるものだ。(中略)そういう、名づけようのない時間を、名づけようのない気持ちを持っているということが、その人をつくる大きな要素だと思うんです。そして、ある日、そういう中に、ぽこん、と泡みたいに、ことばとして生まれちゃうものがある。そのことばを書き留められるものとして、<ほぼ日手帳>が役に立ったらいいなぁ、と思う。(中略)だから、名づけようのない不定形のものをすくい上げる、いちばん目の粗い網として、ぼくにとっての<ほぼ日手帳>はあります。(P.198)

 この独特の文体によって見えにくくなっているが、重要なのは、「名づけようのない気持ちを持っているということが、その人をつくる大きな要素だ」という言い切りにあると思うんです。「と思うんです。」と言うと、断定していることが分かりにくくなるのだな、と勉強になった。

 さて、この主張は2017年の現在、どうなっているのか、ほぼ日のサイトで確認してみると、

 ほぼ日手帳が主役なのではなく、「わたしが主人公です」ということを、わかってもらえるようになって、作っているぼくたちもうれしいです。

www.1101.com

 以前として、中心となる「わたしが主人公」はブレていないことが分かる。「自分らしさ」という言葉と「わたしが主人公」は似ているけど、違っていて、ここに糸井が年間で30億を生み出した力があると思うのです。

 「自分らしさ」という言葉には、「らしさがある人/らしさがない人」という暗黙の二分法があって、「ある人偉い」という含みがすでにある。だけど「わたしが主人公」には、もはや「自分らしさがない」という前提は全くなくて、必ず自分が主人公であるべきだ、という強烈な断定がある。だから、糸井は突然に、名づけようのない気持ちを持っているということが、その人をつくる大きな要素だ」とするし「言葉がぽこんと生まれちゃう」と受動的に、あたかも望まない妊娠みたいな言い方をする。

 ここには、「自分らしさ」を追求するのは疲れちゃうし厭だけど、でも、すべての人は逃れようもなく「わたし」を背負っていて、そこから定期的に「生まれちゃう」何かと向き合わなくてはいけないのだという、何か罪のようなうっすらとした意識が出てきている。跳躍がそこにはあって、「自分らしさ」を「獲得」するための成長のストーリーではなくて、自分のかけがえのなさをそのまま「作品」として受容しようとする転換がここにはある。わたしの「卓越性」や「独自性」はもはや問題ではなくて、絶対的な「比較不可能性」の現出こそが期待されている。あたかもアート作品のような唯一性が宿るだろうことが期待されているし、それを自分自身が読み込んでいけるから需要されているのだと思う。

 不思議なのは、本当に「自分が主人公」であるのなら、そのことを殊更に確認する必要があるのだろうかということだ。「わたしが主人公であるか/そうでないか」が、この新しい設定では問われている。「主人公である」ためには、手帳が装置として必要で、確認手段は、「ぽこんと出てくることば」なのだ。

 だから主人公でない人、ダメとされる人は、「ぽこんと生まれてくる」わたしの声を無視している人。わたしの子供であり、わたしそのものである大切なものを捨てている無自覚な人だ。つまり、無自覚な人は哀れむべき人である。だから、結局ここでは「自分らしさ偉い」のかわりに、「わたし自身を無視している人哀れ」で、「わたしを主人公にしている人は、それで、ようやく一人前」という区別を一段階下に引いていく戦略がある。

これがわたしの「いのち」です。This is my LIFE.
人生、暮らし、いのち。いのち、暮らし、人生。
どれもみんな含んでいるのが「LIFE」。
これが、わたしです、わたしそのものです。
This is my LIFE. 「LIFEのBOOK」ほぼ日手帳

www.1101.com

  そして、自己啓発は、ついに「他者」に開かれようとているらしい。「他者」と「わたしとは何か」を通じて、分かり合うという次のフェーズが開かれるのかもしれないです。自己の信仰告白合戦こそが、次世代の自己啓発なのかも。

 最近だと、手帳をひとりで使うだけじゃなくて、
家族のコミュニケーションに使う人もいますよね。
SNSで手帳を見せ合ったりしているのも、
なんだか、外に広がっている感じがします。
世界に目をやると、ほぼ日手帳を使って、
よその国の人どうしがつながったりもしていますし。

www.1101.com

*1:余談だけど、なんでもない日おめでとうと同時に「丁寧な暮らし」の松浦弥太郎や、その前段の「暮らしの手帖」が生み出す暮らし賛美文化がある。そして、「日常に侵入する自己啓発」の中では、コンマリの「人生がときめく片付けの魔法」が先端の後継者として紹介される。

大納会よりも前に税制上の最終売買日がくるのだった

 あー、悔しい。とっても悔しいので投稿だ。

 初めて株式投資の利益に対する課税を繰り延べしようと思った。年内に取引して、損失を出しておけば課税は先延ばしだ。2016年中に売買するぞーと思っていたら、いつの間にか税制上の最終売買日が来ていた・・・。だって、大納会が12月30日だから、12月30日までに取引すればいいよね、余裕だよねーと思うではないですか。思っていましたよ。

 以下のように、12月27日中に取引をしないといけないことに気づいたのが、12月28日だったので、問答無用で課税決定して大した金額でないのにへこんだ・・・。

 税制上、受渡日がベースとなりますので、平成28年(2016年)の最終取引となる約定日は、以下のとおりです。

■取引所取引、およびPTS取引デイタイム・セッションでのお取引
約定日12月27日(火)、受渡日12月30日(金)

■PTS取引ナイトタイム・セッションでのお取引
約定日12月26日(月)、受渡日12月30日(金)

税制上、平成28年(2016年)の国内株式の最終取引はいつですか?

  けど、別にいつかは納税するのだからいいのではないかとも思ったりした。もっといやだったのは、NISAの無税枠も消えたので、それもへこんだ。ほんとやだ。

 来年は、絶対に忘れない。忘れないぞー、という年初の決意。どうでもいい決意だけど。絶対にリベンジ。悔しい。

 

教育って必要なのかな・・・。

 よく教育が大事だ、というけど教育って何なのか未だに分からない。

 誰かが何かを教えることを教育というのだと思うけど、それが必要だという感じがうまく掴めない。必要なことがあれば、分っていそうな人に聞いたり、自分で調べたり、勉強会に参加したりすれば良いのではないだろうか。

 何かを集中して習得する必要がある人は教育を受けたり、研究機関で研究費をもらったりする必要があると思うけど、そうでもない人は、日常の中に埋め込まれた学びで十分なのではないだろうか。

 ことさらに、教育カリキュラムを整備したり、教育費用を計上したり高度な人材を作りだしたりしなくても、課題に対処するべきリソースが足りているか、そうでもないか、ということを見ていれば良いのではないだろうか。

 学力という概念で何かが捉えられていると考えるから話が混乱する。

 学力、というのは何とか計測しようとして作り出された一つの指標で、そこから何か結論や教訓を引き出しても話はうまく繋がらない。大切なのは、生きて生活している人の生産性が上昇して、彼らがより良い生活を営めるかどうか、だ。

 そのために、無益な投資をしていないか、本当は必要とされているものが見過ごされていないか、日常生活の中で無理なく学ぶために、どんな手段が必要なのか、学びを定着させたり仕事に役立てたりすることを阻害するものはないか、ということを見ていった方が良い。

 教育機関としてのランキングや完成度は、重要ではない。

 一人一人の成果が得られているかが、大事だと思う。

「簿記と会計の再発明」 のための基礎を考える(4) 為替変動と企業ストレスチェック

前回までのあらすじ

 バランスシートを使っている限り、経済には限界がある。その限界とうまく付き合うためにはどうしたらいいのか、ということを前回までで書いた。今回はバランシートを用いて簡略化された二国間モデルを検討し、実験的な環境でバランスシートのふるまいを検討してみます。また、企業財務のストレスチェックとしてデフレ/インフレ耐性みたいなものを計算してあげたら、役に立つのではないか、さらに世界経済をまとめたバランスシートがあれば経済運営が安定するのではという、アイデアを書きます。


インフレ/デフレが二国間のバランスシートに与える影響

 モデル化された二国間で負債がバランスシートに対して与える影響を実験的に考えます。実験的に考えているだけなので、実際のデータと照らし合わせてるわけではないのでご注意を…。

 対外債務国と、その国に貸し付けている資産しか持っていない対外債権国の二国があると想定します。もし、どちらかの国も固定為替制で同率のインフレが起きたとすると、以下のようにインフレは、借金をしている債務国に有利です。

 インフレが起きると、借金が目減りするので、その分貸付をしている債権国の資産がインフレ分減少し、その資産が債務国に移動します。シンプルですね。  

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 その反対のケースです。今度は固定為替制の下で、二国共にデフレになった場合だとどうなるでしょうか。この場合は借金をしている債務国はデフレに伴って借金が膨れ上がり損をして、貸付をしている債権国はその分貸付金の価値が上昇し利益を得ます。

 金本位制下のかつてのイギリスなどがこの立場を享受していたのではないかと思います。たぶん。

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 さて、金本位制が崩れる原因ともなった各国の通貨価値が勝手に揺れ動く事態。この場合どうなるか。厄介なのは、インフレとデフレが食い違う組み合わせです。

 借金をしている債務国が「インフレ」で、貸付をしている債権国が「デフレ」だった場合どうなるか。通貨の調整がなければ、どちらの国も名目上資産が増加します。これは変な話で、どうにかして帳尻が合わないといけない…。

 そこで、仮説ではありますが為替変動の要因として債権価格が実質的に帳尻が合うように為替調整されているんじゃないかというように考えてみました。インフレ率+デフレ率=債権国から見た債券価値の下落率なので、その下落率に見合った通貨価格の下落が実現することで、債権価格の減少が表現されます。*1実態としては、この下落が起きることを嫌って債権国投資家が債券を売却して自国通貨に換金することを通じて通貨下落が先んじて起きるのかもしれません。

 対外債務国は通貨安により実質購買力を失いますが、自国通貨建では債務負担が下がったように見えています。貸付をしている債権国は、為替差損により債権の価値を失いますが、自国通貨の購買力は向上しています。でも輸出には不利になります。

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 今度は、反対に、借金をしている債務国で「デフレ」が起きて、貸付をしている債権国で「インフレ」が起きた場合。この場合では、債務国側ではデフレで借金が膨れ上がり苦しい、一方で貸付をしている債権国はインフレで債権価値が縮小している。為替変動がなければ、どちらの国も損失が出ていて帳尻が合わない。

 先ほどの例とは逆に、自国債権の価値は、債務国のデフレ率+債権国のインフレ率=債権価値の上昇率になります。そのため、その債権価値は、変動為替相場に反映されるしかないので、為替相場は債務国通貨で高くなります。貸付をしている対外債権国は、為替差益を得ますが、購買力を失います。そして、借金をしている対外債務国は通貨高で実質購買力が向上しますが、輸出で不利になります。

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 と、いうことが二国間のバランスシート間のやりとりの簡略化されたモデルで実験的に考えられます。これを、さらに三つ以上の為替間で様々な資産を持ち合った状態でシミュレーションすると、債権価格を媒介にして、どのように為替価格が変動していくのが、予測がしやすくなる、かもしれないと考えています。

 

インフレ/デフレが企業間のバランスシートに与える影響

 以上の発展系で、インフレ/デフレが企業間のバランスシートに与える影響を計算することも可能だと思います。まずは、一企業のバランスシートのインフレ/デフレストレスチェックを計算することからはじめるのが手軽ではないでしょうか。

 そして、段階的に企業と企業が債権を通じて作る影響を計算し、最終手にはグローバルな企業と政府と家計が作るバランスシートネットワークに対して通貨価値の変動が与える影響をシミュレートすることができるのではないでしょうか。

 このシミュレートが出来れば、金融/財政政策の与える影響は、より明確になり、そもそもバランスシートを用いている限り生じるデフレ傾向に対して有効な政策を考えやすくなると思っています。恐らく、国富のバランスシートをすべての国が持っていて、全世界の国富のバランスシートを統計として完備すれば、かなり正確に政策運営ができるようになると思う。

*1:債権価格は、債務国通貨ベースでも、債務国の返済利息ベースでも変化しないのだから、通貨価格で表現される以外にない。

「簿記と会計の再発明」 のための基礎を考える(3) 日銀/政府の政策を転換してデフレを克服できる、かも

前回までのあらすじ

 第1回では、経済の仕組みの中で、市場(交換)というゲームの肝のシステムがたくさん行われることが大事、というアダム・スミスの意見と、そして、ゲーム運営側(政府)がしっかりしてみんながテンションが下がったときに、アイテムを渡したり、お金を配ったりするのがいいのではというのはケインズの意見を経済学の観点として紹介した。だけど、そもそもスコアシステムそのものが暴走していることがあるんじゃないか、ということはあまり言われてこなかったのではという話を書いた。

 そして、前回はそもそもバランスシートが暴走することもあるということを仮説として提示し、その危険性を研究し対策を立てることが必要なんではないか、という話を書いた。

 

それでは何ができるのか

 今回は、よりこのバランスシート的な観点を応用して実際に役立つ政策立案につなげられないか考えてみる。記録のためのシステムとしてバランスシートはあるので、これをうまく運用して生産性そのものを上げるというようなことはできない。

 できるのは、バランスシートが原因で人々が消極的になり過ぎたり、積極的に駆りたてられ過ぎたりを防ぐ対策は立てられるかもしれない。バランスシートを注視することで、「平熱ではない」経済の状態を判断し、正しい政策と悪い政策を見分けられるようになる、という点が良いところだと思う。

 

インフレ/デフレが良いことなのか悪いことなのか判断できる

 国富のバランスシートが分かると何が良いか? 一点目はインフレ/デフレが良性か悪性なのかの判断ができるようになることだ。

  1.  その国のインフレが「良性か悪性か」判断できるようになる。
  2.  その国のデフレが「良性か悪性か」判断できるようになる。

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 これによって、今何をすべきかすべきでないかをある程度、事前にシミュレーションできるようになる。たとえば土地の国有化など大きな決定をする前にはバランスシートに与える影響を政府機関は計算して、それが正しい決定なのかを考えるべきだと思う。

  (例えば第二回で言及したようなジンバブエの政策とか、第一次世界大戦後のドイツのルール地方の占領とか、大きな影響を与える政策は避けるべきだ。)

 国全体のバランスシートがインフレ型なら、以下のようにインフレが起きると(実質化後の)自己資本が毀損する。

 

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 そして、国全体のバランスシートがインフレ型ならデフレが起きると以下のように自己資本はプラスになる。きっと、ハイパーインフレが起きている国でしばしば通貨供給を絞ることが良い効果をもたらすのは、このバランスシート効果もあるのではないか。

 

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 もし、デフレ型なら以下のようにインフレが起きると、自己資本は先ほどとは反対になってプラスになる。これは負債の価値が減少するから起きることだ。

 

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 一方で、デフレ型のバランスシートでデフレが起きると(くどいようだけど全て実質化後の)自己資本は毀損する。

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 だから、今の国全体のバランスシートがどうなっているかを見ることで、政策担当者は「今のデフレは良性か悪性か」という議論をする必要はない。ただ単にバランスシートが機械的に反応するので、その影響をどう防いだり伸ばしたりするかを検討すれば良くなる。

 

インフレ/デフレから脱出する方法を検討できる

 もう一つは、インフレやデフレから脱出するときにどのようにして脱出するのか正しい政策を導きやすくなるのではないかということだ。インフレに関してはほぼ異論がなくて、通貨の供給を減らす、ということに尽きると思う。

 だけど、いまだに良く分からないのはデフレだ。そもそも、何で、デフレ型バランスシートになるとデフレ気味に経済が傾くのか。

 モノが足りないインフレ型の経済では、モノを買いたいから貨幣の価値よりモノの価値が高くなる。貨幣が多いのに、貨幣の価値が下がるから経済の自己資本も毀損して、ますます苦しくなる。

 モノが多くて貨幣が足りないデフレ型の経済では、モノよりも貨幣の価値が高くなる。モノが多いのに、モノの価値が下がるから経済の自己資本も毀損して、ますます苦しくなる。

 仮に、日本のようなデフレ経済に貨幣を注入したらどうなるだろうか。

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 恐らく株式・土地の購入に回るだろう。これでは、バランスシートの形は変わらない、現預金は増加しなくて、ただ資産側に長期資金が固定されていくだけで、現金が欲しいと思っている人々はずっとニーズを満たされないままだ。そして、相変わらずモノは買われないから、デフレ傾向は変わらない。

 しかも、株式・土地に変換されてしまうと、そういうインフレ耐性資産はデフレが進むと逆に毀損する。だから、この状況では、どんどんデフレが進みながら株式・土地の価値は下がり自己資本が減るのでますます価格は下がり、デフレから脱することはできないように見える。

 だけど、株式・土地の代わりに、すべての人がすべての手持ちの現金を退蔵するか預金することを選んだらどうなるか。バランスシートの上で十分に現預金が増えれば、あるポイントを超えたときにデフレが自己資本をプラスに持っていくインフレ型のバランスシートに変化する。そこまでバランスシートが変化していればデフレがいくら進んでも問題はなくなる。むしろ自己資本が増加し続けて景気がどんどん良くなるだろう。デフレで得られた利得の一部は、消費に回るようになりむしろ、インフレによるマイナスが心配されるようになるだろう。

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 だから、「良いデフレ」が起きるように政策を誘導することが奇策として残されてるかもれしない。この政策では、必ずしも貨幣退蔵を妨げない。というか、むしろ貨幣退蔵と預金増加を誘導する。

 人々が現金を保有したいと思い過ぎて、投資を全然したくない、のであればそれを妨げず促進するように誘導してしまう。同時に景気後退を防ぐための公共支出は削減しない。ただし、固定資産を増やす「公共事業」ではなくて現金給付を増やすサービス業(介護・保育等)に十分に支出する。現金を保有したい層に向けてお金の流れを確立すれば必ずバランスシートはデフレ/インフレに対して中立な地点に到達する。その時点でも現金欲求が人々の間で強いようなら、さらにそれを妨げない。そのまま現金が積みあがると、インフレ型バランスシートになってインフレ脆弱性は高まるが、デフレに対してはプラスのバランスシートになる、現金が積まれるほどにデフレによる利得は高まる。自己資本はデフレが進むとどんどん増加する。だから人々の間で現金保有はプラスになり、現金が減少するという懸念が十分に払拭されれば支出も増え生産活動も増加する。

 ただしこのプロセスでは、株式や土地のバブルもそれほど促進しないことが大切になるだろう。もし、株式・土地バブルが起きる方向に誘導しすぎると、バランスシートの現金以外の部分が厚くなって、結局デフレ型バランスシートに戻ってしまい、デフレ脆弱性が高まり、中立なバランスシートにたどり着かない。

 以下のような政策がとれるかも

  1.  国民や企業が現預金を貯めこむことに対してポジティブであることを政府・日銀が宣言
  2.  バランスシートの上でどれくらいまで現預金を貯めこむことがデフレ中立であるか目標値を宣言
  3.  現預金増加の途中経過で過度にはバブル方向に金融緩和しないことを宣言(これは今回の日銀政策会合で半ば宣言されているかも)
  4.  政府は固定資本を増加させる公共事業ではなく介護・保育などのサービス事業支出するように政策上注力する(現預金の流通量を増やしていくため)
  5.  海外資本に対して市場をさらに開き、不動産や株式を海外資本に売却して現預金に変えていく

 これによって500兆円規模で現預金を増加させ、固定資産や株式の価値を500兆円規模で減少させることで、国富のバランスシートはデフレに対して中立的となる。そうなれば、デフレが進行しても日本が国全体で持っている負債よりも現金の価値増加幅が大きいので国富(実質化後)で債務超過になることなく運用できるようになるだろう。だから、日本が国全体として破綻するかも(政府が、ではないけど)というリスク、少なくともデフレで破綻するリスクに関してはなくなる。*1

*1:ただし、名目でどうなるか、を検証してみた方が良いと思う。

「簿記と会計の再発明」 のための基礎を考える(2) ヘリコプターマネーを一人1000万円配るレベルでやってみると

 前回までのあらすじ

 なかなか話が核心に進まない感じがするけど、前回に引き続いて、バランスシートの再発明にどんな意味があるのかを考える。エクセルで出来るヘリコプターマネーシミュレーションも付いてます。一人500万円くらいでデフレが止まり、大体1000~1600万円くらい国民に配ると、さすがにたぶんインフレ気味になると思う。(シミュレーションで使ったデータ 国富バランスシート_エクセルデータ20160919)

 

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 前回の話をまとめると、経済の仕組みの中で、市場(交換)というゲームの肝のシステムがたくさん行われることが大事、というのはアダム・スミスが指摘した。そして、運営がしっかりしてみんながテンションが下がったときに、アイテムを渡したり、お金を配ったりするのがいいのではというのはケインズが指摘した。

 でも、そもそもスコアシステムそのものが暴走していることがあるんじゃないか、ということはあまり言われてこなかった、というのが前回のあらすじです。

 

 ゲームのバランスシートはなんで暴走しないのか

 ゲームのスコアシステムであれば、スコアが暴走するということは考えにくい。例えばモノポリーであれば、一律の持ち金でスタートとして、ゲーム内銀行から供給されるマネーで投資を続けて、プレイヤー間でゼロサムゲームをするだけだ。モノポリーのシステムが暴走しないのは以下の理由による。

 1)リセットされる。モノポリーでは1ゲーム毎にリセットされて、資産が一律に戻る。これは現実世界ではあり得ないスゴイ設定だ。

 2)価格が固定されている。ゲーム内銀行が実際にはインフレーションをもたらしているはずだけど、土地価格や建物価格は固定制になっており、インフレに応じて上昇したりしない。これによって、ゲームプレイヤーの純資産は全体としてプラス方向にしか遷移しない。だから、モノポリーの銀行はハイパーインフレをもたらさない。*1

 3)モノポリーのスコアシステムは貨幣変化(や、その他のゲーム内の価値変化)に対して中立である。上記によって、モノポリーのスコアシステムはゲーム内部の変化に対して絶対的で中立的だ。モノポリーの500$紙幣はいつまでも500$紙幣で、その価値が下がっていくことも上がっていくこともない。500$で買える土地も建物も変化しない。ゲームを永遠に続けて、毎週200$のサラリーが積みあがって各プレイヤーが天文学的な資産を抱えても、それぞれの紙幣の価値は一切変わらない。

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  現実のバランスシートは、以下の理由によって暴走する可能性にさらされている。

 1)リセットできない。プレイヤーは、それぞれのアクションによって得られたスコアを死後まで引き継ぐことが可能。だから、相続税などで平準化を図ろうとして運営が介入する。

 2)価格が固定されていない。金本位制をしいても、共産主義政府が価格を固定しても、本質的に価格を固定することができない。需要にも供給にも限界や変動があるので、プレイヤーの交渉力が変わる。商品であろうと通貨であろうと、本質的にどんな政府の基でも価格は固定されていない。

 3)バランスシートは貨幣価値の変化に対して中立ではない。2)の要因によって、そもそもバランスシートはスコアとしての中立制はない。バランスシート全体の価値が一定である、ということもないし、バランスシートの一部である貨幣の価値が一定であるということもない。これは何を基準点として持っても変わらない、仮に「金」を基準として持っても金の供給量によって左右されるし、仮に全世界の生産力を裏付けに持つことが出来たとしても、生産力そのものは消費者の数と質によって変化するので一定ではない。

 

 バランスシートをエクセルで暴走させてみよう

 具体的にバランスシートをどのようにして暴走させられるのかを考えてみたい。

 データは以下のものを使っている、参照先は文中につけている。もし、自分でも色んな暴走パターンをシミュレーションしたいという人がいれば以下のデータで試してみることができる。(是非間違いがあれば教えてほしいです。これで正しいのか自分でも良くわからないので。)

  ※エクセル元データ 国富バランスシート_エクセルデータ20160919

 以下はぼくの仮説。一国の国富のバランスシートの中での、貨幣の価値はいつも、他の資産に対して相対的に決まっているのではないか。

 インフレ型のバランスシートになっている国では、貨幣が多すぎる。

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  そして、デフレ型のバランスシートになっている国では、貨幣が少なすぎる。

 

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  実際に、日本の国富のバランスシートを見てみよう。日本のバランスシートは、デフレ型で、もし日本円ベースで75%もデフレが進むと考えると、自己資本が実質化(デフレ後のバランスシートを「モノ」ベースで実質的な価値に還元した)後で-41.31%減少することが分かる。

 逆にインフレが75%進むと、自己資本は実質化された後に+10.33%増加することになる。

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 ※データ出典  2014年度国民経済計算(2005年基準・93SNA) - 内閣府

 ※エクセル元データ 国富バランスシート_エクセルデータ20160919

 日本のバランスシートではデフレが進むと負債の価値が増加するにつれて相対的に固定資産などの「モノ」の価値が低下するので、何もしていないのに国としての富が実質的に減少するという悲劇が起きる。

 反対にインフレが起きると、何もしていないのに負債の価値が実質的に低下して富が増えるという現象が起きる。

 これを日本以外の国でも同様に見てみるとさらに興味深い。

 

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 ※データ出典 Financial position of the United States - Wikipedia, the free encyclopedia 以下から、現金比率を米国市場の時価総額から推計しているため現金比率のデータは正確なものでないことに注意(米国家計内訳も用いている) 世界の株式市場、連動性高まる-海外保有比率の上昇で - WSJ

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 ※データ出典 [ARCHIVED CONTENT] UK Government Web Archive – The National Archives

 データは日本の基準と異なるため単純な比較が許されない可能性に注意が必要だが*2、日本と比較すると、極端なまでのデフレ脆弱性が米英のバランスシートにはある。それは、資産と負債とが金融資産で激しく水膨れしているから起きているのだ。国全体でめっちゃくちゃにレバレッジをかけていると考えられる。

 これによって、もしデフレになると米英は深刻な景気後退に見舞われると思うけど、一方では、ちょっとしたインフレで実質的に自己資本が上昇しているように見えることが大きなメリットだ。

 仮に、デフレと株安による世界大恐慌が再来するなら、アメリカとイギリスの二つを震源地にして起きることが予測できそうだし、そうなりそうだから必死で金融政策に取り組んでいるのだろう。*3

 さて、さらにこのバランスシートに意図的な細工をしてみるとどうなるか。

 

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 日本政府か日本の民間企業や個人がもっと借金を背負って、たくさん資産を買いまくったらどうなるだろうか。約1500兆円借金を増やして資産も同じくらい増やすと、ようやく米英型のバランスシートになる。これが今、日銀や政府が目指している姿だと思うけど、バブルを発生させながら高水準の金融資産を維持して、インフレでバランスシートの利益を出し続ける。

 ただ、この形まで持っていくまでにまだ1500兆円借金しなくては届かないのだ。

 さらに、もっと過激な政策を入れ込んでみる。話題のヘリマネ実施パターンだ。

f:id:oror:20160919220123p:plain 日本の固定資産を大胆に売り払い620兆円を現金化、さらに政府が国民に1000兆円を現金で今すぐ給付することを決定したらどうなるか。ちなみに一人当たりでいうと現金約1000万円くらいになる。

 ここまでやると、バランスシートの構成が完全にインフレ型になる。インフレ型になると今までとは逆にインフレが75%進むと国富の自己資本は実質ベースで-21.76%減ることになり、デフレ75%進むと、国富の自己資本は実質ベースで+87.03%になる。

 ちなみに、500兆円、つまり一人当たり500万円の現金をただバラまくだけだと、インフレ/デフレの影響を受けにくい均衡に近いバランスシートになるのでとりあえずデフレが止まるのではないか。

 どこが閾値なのかは微妙だけど、上記のようなバランスシートになると現金の方が余っているため物価が上昇し、賃金が上昇し、物価がさらに上昇というインフレスパイラルが始まると思う。ただ、この場合は、インフレになると国富が実質ベースで下がるので景気全体にも悪影響という状態になり、そのまま無策であればハイパーインフレになる。

 いやいや、そんなこと起きるわけないでしょう、と思うかもしれないけど史実ではわりと起きていて、例えば第一次世界大戦後のドイツである。

戦間期におけるルール占領(ルールせんりょう)とは、1923年に発生したフランスおよびベルギーが、ドイツのルール地方に進駐し、占領した事件。当時ルール地方はドイツが生産する石炭の73%、鉄鋼の83%を産出するドイツ経済の心臓部であった。

 ルール占領 - Wikipedia

 重要すぎるので、色を変えたけどルール地方の占領こそが、この仮説に従えばだけど、ハイパーインフレの条件だったと思う。

 

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 ルール占領でどちらかというとデフレ型だったかもしれないドイツのバランスシートは、いきなりインフレ型のバランスシートに変化した。こういう突然の変化は政治によって良く起きる。たとえばジンバブエでもこういうことが起きた。

ムガベは初めは黒人と白人の融和政策を進め 、国際的にも歓迎されてきたが、2000年8月から白人所有大農場の強制収用を政策化し、協同農場で働く黒人農民に再分配する「ファスト・トラック」が開始された。この結果、白人地主が持っていた農業技術が失われ、食糧危機や第二次世界大戦後世界最悪とも言われるインフレーションが発生した。

ジンバブエ - Wikipedia

 ジンバブエの場合は、白人の土地を再配分したので占領されたわけではない。のだけど、白人が資本と一体化していた生産力を一回バラバラにしたので、バランスシート上の価値は一瞬とても低くなる。そうなると、バランスシートはインフレ側に激しく振れることになる。こういう土地改革は国全体に対して実施されるので、影響もきわめて大きくなる。さらに、ジンバブエでは内戦を戦った退役軍人に恩賞を大盤振る舞いするなどの現金給付も重なりハイパーインフレが始まった。

 他にもアルゼンチンなどでは、恐らく第一次・二次大戦時の貿易好調による大幅な黒字が国内現金をダブつかせ、後のインフレの素地を作り上げた。

 バランスシートは、モノが少ない経済であればインフレからスタートするが、そのうち資本が蓄積されてくると、デフレ型に移動していく。デフレ型では金融資本優位なのでバブルとバブル崩壊が繰り返されて、デフレ型が極限まで行くとお金が出回らなくなって大恐慌に陥り、国家がインフレ誘導をうまくやれないと、軍事国家化して戦争が起きる。戦争で生産施設が破壊されればモノが足りないのでインフレ型に戻って、生産性が凄まじい勢いで上昇して、またデフレ型に到達して・・・(以下、繰り返し)。

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 バランスシート問題を解決したい

 と、いうわけで長々と、何でバランスシート問題を解決するべきなのかをダラダラと考えてきたわけですが、一言でいうと、このゲームのスコアシステムは本々、ずいぶんと不安定なんじゃないでしょうか、ということだ。

 ゲームスコアが不安定すぎると、すぐにプレイヤーが不機嫌になる。「正当に評価されていない」という判断をして、すぐに社会の不安定さに結び付くことになる。だから、このスコアシステムの欠陥を何とかするのは良いことなのだ。

 

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 さて、バランスシートの改善のためにその原因をもう一度振り返ると、

 1)リセットできない。プレイヤーは、それぞれのアクションによって得られたスコアを死後まで引き継ぐことが可能。だから、相続税などで平準化を図ろうとして運営が介入する。リセットされないに関しては、ピケティが「21世紀の資本」で指摘したことと同じで、このバランスシートのシステムがある限り絶対に時間が経つとデフレ気味になっていく。

 2)価格が固定されていない。金本位制をしいても、共産主義政府が価格を固定しても、本質的に価格を固定することができない。需要にも供給にも限界や変動があるので、プレイヤーの交渉力が変わる。商品であろうと通貨であろうと、本質的にどんな政府の基でも価格は固定されていない。上記で示したように全体に対しての貨幣とそれ以外のバランスが価値を決めているので価格は変わっていく。

 3)バランスシートは貨幣価値の変化に対して中立ではない。2)の要因によって、そもそもバランスシートはスコアとしての中立制はない。バランスシート全体の価値が一定である、ということもないし、バランスシートの一部である貨幣の価値が一定であるということもない。これは何を基準点として持っても変わらない、仮に「金」を基準として持っても金の供給量によって左右されるし、仮に全世界の生産力を裏付けに持つことが出来たとしても、生産力そのものは消費者の数と質によって変化するので一定ではない。

 最後のポイントが重要だと思っているところで、バランスシートそのものの価値が貨幣価値に連動して変わるのであれば、政策の打ち方をバランスシートの価値変化に合わせて決めておけばハイパーインフレ/デフレは防げるかもしれない。

 また、貨幣そのものの機能を変えることや、土地などの影響が大きすぎる資産については、所有権の考え方を根本的に変えることも有効かもしれない。

 

 今後の課題

 今後の課題として以下のようなものがあります。

 二国間モデルで考えるとバランスシート問題はどうなるのか、を考える必要がある。

 固定相場で為替変動のない二国間モデルでは、債務国と債権国が同時にインフレになった場合、債務国が有利だ。借金が実質的に目減りするから。同じ条件でデフレになったら、債権国が有利だ。貸しつけた金が実質的に増えるから。

 前仮説としては変動為替の下では、借入金の価値を通じて、インフレ国側の通貨が下落するような変化を起こしていると思う。たぶんだけど・・・。

 これをさらに多国間で考えるとどうなるか。

 また、大体の国には国富のデータがないので、これを世界的に検証できるのか。

 実質経済成長率として算出されている数値は、インフレやデフレによる自己資本の増加や減少の影響を受けないのか。そもそも生産性の向上として算出されているもののうちの幾分かはこの影響で過大に数値が出ていないだろうか。

 

 

*1:でもゲームルールを変えて、税金を周回毎に取るようにしたらデフレになって、ゲームシステムを変えずにゲームが成立しないように持っていくことはできるかも。何も面白くはないだろうけど。

*2:もしこの比較方法じゃない正しい集計方法ご存じの方いたらぜひ教えていただきたいです・・・。これが正しい方法なのか分かりません。

*3:これも余談だけど、やっぱりイギリスはポンドの自由度を確保したくてBrexitを選んでいるんじゃないだろうか。

「簿記と会計の再発明」 のための基礎を考える(1)

 簿記と会計の再発明ができるのでは

 Joichi Itoさんが書いた「簿記と会計の再発明」 が面白くて、簿記と会計で何を実現させると面白いのかをずっと考えている。

複式簿記は700年間変わっていない。今日のコンピュータ、ネットワーク、暗号技術を使えば、21世紀のための会計システムを構築できる 

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 Joichi Itoの主張をカンタンに言うと、イマの経済は新しく変化してるのに、複式簿記=バランスシートって超古いよね700年前からおんなじかよ、そろそろ真新しい仕組みに変えようぜ。ということを言っている。

 バランスシートは単純すぎて、現実の複雑さに対応してないし、バブルが起きても外の人が会計報告見てこれ価値ないとかあるとか判断することができないし。そもそも全部の取引を記録して誰でも見られるようにしたら架空の売り上げとかも計上できなくなるし、自動的にプログラムにも適正会計か判断させられてカンタンじゃないですか。さらに言えば、人によって価値はどんどん変わるんだから、ひとつの価値にまとめずに数式でプログラム書いて組み込んでもいいんじゃないの、と主張している。

 そういう問題提起に対して、会計=簿記のシステムそのものがどのように暴走しているかをより深堀して考えてみるのが今回の記事の趣旨です。

 

 いったい何を解決したいのか(この経済で良かったねとみんなが思う条件)

 会計=簿記を変えることは出来そう、そして価値の単純化の弊害も確かにあるように思う。だけど、大切なのは古いかどうかとか単純であるかというよりは、会計と簿記が経済の全体の中で果たしている役割を見定めて変えていくべきポイントを知ることではないか、と思いました。

 何で、新しいバランスシートを作りたいのかというと、バランスシートが私たちの経済活動を正しく記録していないからで、経済活動が正しく記録されると今よりも経済活動がより良くなるのだ。では、どう良くなるのか??

 まず、私たちの日々の経済活動とはもともと何なのか、という、超当たり前のことを確認したい。経済活動というのは日々の生活を成り立たせる、「仕事(生産)・生活(消費)活動のすべて」。そして、その循環が続くことで、「食べていけるなー」「生きていて良かったなー」と思う人がどんどん増えることが経済活動を続けていく目的だろうと思う。

 と、いうことは「食えないなー」「生きていて最悪だ」と思うような結果を生む経済活動は、なるべく減った方が良い。この二つの原則が、当たり前すぎて申し訳ないが経済活動の目的なんではないか。

 

 経済活動が良いと判定できる2つの条件

  1. 生きていて良かったなー、と思う人が増える
  2. 生きていて最悪だわ、と思う人が減る

 

 だから、失業は少ない方が良いし、飢餓は防ぎたいし、健康を害する病気は防ぎたいし、住環境は安全で快適であってほしいし、戦争は良くないし、大金持ちが貧乏人の取り分を巻き上げるのも良くないし、環境が破壊し尽されて食べるものが何もなくなるのも良くないし、そもそも景気の変動とかもない方が安定しているし、子育てを安心してしたいし、高齢になったりやむを得ずリタイアしても充実した生活を送りたいし、生産性は上げていって宇宙に人類大帝国が作れるくらいの生産力を備えたい。

 でも、これらは現象であって仕組みではない。現象が嫌だから法律や制度でどうにかしようとすると、裏側の仕組みが思いがけない動き方をして最初の目的を達成できないかもしれない。

 

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 経済の「現象」と、その現象をつくる一つ一つのパーツである「仕組み」と、それらが絡み合っている「経済全体」とは別のものだよね、というかそう考えてみると良いかもしれないですね、という図になっています。そして、私たちが考える経済に対する「評価」もまた、個人毎に状況毎にぜんぜん違います。

 でも、これではやや分かりにくいので以下のように変えてみます。

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 経済活動を一つのゲームシステムとして考えてみると、簿記・会計とはつまり「ゲームスコア」の仕組みとして機能しているんだな、と捉えることができる。それは、つまりどういうことなのか。

 

 ゲームシステムとしての経済

 経済というゲームシステムの中で活動する人は、主観でゲームそのものの楽しさを判断するけれど、客観的にはスコアというゲーム内評価で自分の上手さを把握する。つまりプレイヤーの「自己評価」を左右する仕組みだといえる。

  活動の良し悪しに応じて他のプレイヤーからもらえるアイテム「お金」がある。でも、お金には絶対的な価値があるわけではなくて、お金自身の価値も日々変わっていく。お金と膨大なアイテムをスコアとして記録するために、簿記というシステムもある。自分がスコアの記録をしていなくても、影響力のあるプレイヤーは大体が記録しているので、スコアの価値は自分が記録するかどうかに関係なく変わっていく。スコアが高くないと強いアイテムが買えないので、スコアを高くすることは大事。スコアがマイナスになると破産とされてゲーム内で不利になったりする。

 このゲームでは、「交換」というアクション以外はできない。ひたすら、自分の持っているものや時間を何かと「交換」し続ける。そのためにプレイ画面で、アイテムを入力して、代わりに何かを受け取る。これは市場と呼ばれている。

 そして、この「交換」に対して色々とルールを作ったり止めたり、何かをとても高い値段で強制的に買い取ったり、タダでものを配ったり、手数料を集めてアイテムをプレイヤーに配りなおしたりして、プレイヤーのモチベーションを保っているのが「運営」だ。運営をする人は、プレイヤーの互選で決まっていて、公平になるように定期的に選挙をしなくてはいけない。強いプレイヤーが過度に勝ちすぎると他のプレイヤーのテンションが下がりまくるので、運営はいつも「交換」に介入して、負けすぎている人にアイテムを配ったり、レアアイテムをプレゼントしたりしてゲームが過疎にならないよう努力している。

 最も大切なのは、このゲームの「交換」をする時に、プレイヤーが努力しないといけない仕組みになっていることだ。ただ交換ボタンを押しても大したアイテムは手に入らない、他の人が欲しいと思っていたアイテムを探してきたり、作りだしたりすることで、たくさんのスコアを得られるようになっている。

 ここがゲームの肝の部分で、何をすれば「良いアイテム」として評価されるのかに定石の攻略法が今のところはない。だから、プレイヤーはなかなか飽きが来ないのだが、あまりに勝てないとゲームを罵るようになるので運営の腕が問われる。

 さらに、プレイヤーが作ったアイテムを使って他のプレイヤーはさらに新しいアイテムを作ったりもできる。だからプレイヤー同士でどんどん、より良いアイテムを作り出し続けることも可能。そうすると、同じ努力でもたくさんのアイテムを作り出せるようになる。プレイヤーは、よりたくさんの優れたアイテムを使って遊んだりコミュニケーションをとったりできる。

 こうして強いプレイヤーは「このゲーム、頑張れば頑張るほど良いアイテムもらえる。すごい楽しい。」と思うようになるし、評価が低いプレイヤーですら今までのアイテムよりも改良されたアイテムを次々と提供されて楽しい。しかも、スコアも高得点になっていくので、ランキング上位になれば自尊心も満足するし、ならなくてもいつかはスコアが高まると夢見てさらにゲームに打ち込むようになる。*1

 

  当経済ゲームモチベーション維持の課題 

 さて、このゲームの肝は、

 プレイヤーのモチベーションが高くないと良いものが提供されない 

   というところにある。では、どうしたらプレイヤーに気持ちよくイノベーションをずうっと続けていただけるのか。モチベーションを阻害するものとして以下の2つが指摘されてきた。

 

 ゲームモチベーションが下がる2つの失敗

  1. 運営が交換じゃなくてお金を重視し過ぎてプレイヤーのテンションが下がる
  2. プレイヤーがお金を心配しすぎてテンションが下がり始めたときに運営がアイテムやお金配ったりせずに放置するので、テンション低下が止まらない。

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 1の間違いについては、アダム・スミスが言いだしたことで輸出に補助金をつけたりしていると、プレイヤーが頑張らなくなるので良くない。さらに、当時の運営の間違いにいちゃもんつけた。その頃は運営が手持ちのお金を貯めこんでおいて他の運営チームよりも有利にゲームを運ぼうとするのが流行っていたが、それをやるとプレイヤーの満足感が下がるのでやめなよと指摘。むしろ、運営は手持ちのお金を手放してプレイヤーが欲しがるアイテムを大量に他の運営チームから手に入れて、自分のとこの余っているものを売れば、全体として良いものが行き渡って、ゲームが面白くなるじゃんと言い切った。しかも、プレイヤーが活気づけば運営のスコアも高まるので問題は長期的にはなくなる。

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 2の間違いについては、元祖ヘッジファンドトレーダーのケインズが言いだしたことで、運営がなるべく口出ししないことを良しとしていると、ゲームが盛り下がっている時には良くないんじゃないかという指摘をした。当たり前のような気がするけど、実際に世界大恐慌の時には、放っておきすぎて実際にプレイヤーのテンションが下がり過ぎた。

 ケインズはこのゲームでは、テンションがお互いに高い時は、アイテムを作ったり交換したりを自信を持ってみんながやるのに、何かをきっかけに自信をなくすと急にオドオドして内気になりアイテムやお金を貯めこんで家を出なくなることに気づいた。

 特にお金を貯めこんでしまうのが困りもので、アダム・スミスは運営がお金を貯めこんでプレイヤーが交換するのを止めることを批判したけど、ケインズが見たのはプレイヤーがお互いに不安をぶつけあって、どんどん交換を自発的に止めてしまうという世界集団引きこもり現象だった。そんな時は、運営が自腹を切ってみんなにどんどんお金を渡して、飲み会をやったり、イベントや勉強会を開いてまずは家を出て自信を付けさせて、テンションを上げないとヤバイと力説、したんだけど、あんまり周囲の理解は得られなかった。

 あげくのはてに何や知らんけど景気悪いから戦争だ!と引き込もりが中2病を経てヤバイ世界系妄想を直せないまま過剰に社会復帰し過ぎたかのような第二次世界大戦が勃発してしまう。

 まとめると、このような感じに。

 

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 二人が指摘したのは、仕組みの中の二つの部分でモチベ低下が起きるということである。一言でいうとお金のことが心配で貯めこむということだ。プレイヤーは、スコアが伸びないぐらいなら、今のままで良い、何も新しく始めたくないと思うことがある。

 ゲームモチベーションが下がるのは「何らかの原因でお金のことが心配になってテンションが下がり、交換を諦めてスコアを維持しようとする

 ということだと言える。だけど、二つの仕組みに対応しているだけではスコアシステム自体が起こす問題に対処できない。スコアシステムが暴走する可能性はあまり指摘されていない。

 

  (続きます。) 


*1:余談だけど、わりと運営側として重要なのは、結果としては勝つプレイヤーは少なくても、誰もが勝てたり必要とされているというメッセージを出し続けることかもしれない。定石が分からないので、嘘というわけでもない。